eぶらあぼ 2022.12月号
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第98回 「読むや、読まざるや。ダンスの前に。」 みなさんは公演前にパンフレット等に書いてあるコンセプト・ノートみたいなものを読むだろうか? これはけっこう分かれる。主な理由を考えてみると、●読む派……「アーティストの意図を十分に理解したい」「実際の事件や実在の人あるいは引用元の文学作品など、下敷きになっている情報を知ったほうが作品を理解しやすい」「重要だが作中で説明しづらいようなキーワード(外国語の単語や、専門用語など)があるから」●読まない派……「予備知識なく純粋な状態で作品と出会いたい」「内容のないものが多い」「そもそも作品は、作品だけ観ていれば全てわかるように作るべき」といったところだろうか。これは完全に各人の好みだが、オレは読んでから観る派だ。アーティストが事前に出す情報は、基本「知っておいてほしいか、知ったとしても作品鑑賞に悪影響がないと判断したもの」として受け取っているからだ。 フェスティバルだと1日に何作も立て続けに観ることになるので、前日にでも目を通しておく。前提となる情報がある場合、それを知った上で観ると「なるほど、そう来たか!」と展開を楽しめる。しかしダンス鑑賞後にぼやけた印象のままコンセプトを読んだところで、最初の印象はまず覆らない。知れる情報は知れるだけおさえた上で鑑賞するのが職業上の誠意だと思っている。 まあたしかに制作の人に言われてイヤイヤ書いたとおぼしき長文のわりに内容ゼロのものや、「……さて、どこへ行くのだろうか」みたいな知らねえよ馬鹿まずお前がどこかへ行ってこい、というものも少なからずあるけれども。 あと「読まない派」の理由の最後にある「作品は、Profileのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com140上演だけで全てわかるように作るべき」というのも、気持ちはわかるがそういう時代でもないのだ。 たとえば絵画。具象画は、宗教画であれ人物画であれ風景画であれ静物画であれ、なにが描いてあるかは見ればわかる。絵画の歴史のほとんどは具象画だった。しかし近代になって抽象的な表現が出てきた。絵の具をぶちまけたり幾何学模様の組み合わせだったり。もちろん抽象画でも無条件に感じ入る、ということもあるだろうが、多くの場合、鑑賞者は自分から作品を理解しようと作品に寄り添っていく。タイトルやコンセプト、作家本人について調べ、考える。鑑賞者は受け取るだけではなく、能動的に意識を働かせるのである。「理解の共同作業」はまた、醍醐味のひとつなのだ。 そういう意味で、物語を得意としていたモダンダンスは具象画に、コンセプトが重視されるコンテンポラリー・ダンスは抽象画に喩えられるかもしれない(実際には物語性も含めた多様な表現が前提にあるのだが)。そして「オレは具象画しか認めないぞ」という人がいるのもわかる。だがせっかく最先端のコンテンポラリー・ダンスを観るのなら、自分から能動的に作品に関わる鑑賞の楽しさも味わってほしいのである。 だからダンサー達も気合いを入れて書いてくれ。とくに謎ポエムはもうやめてくれ。乗越たかお

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