実は、春輝は深刻な病と戦っていたのだ。 春輝が小脳にできる悪性の腫瘍、髄芽腫(ずいがしゅ)を発症したのは中学に入学したばかりのとき。幸い、手術で腫瘍はすべて摘出でき、退院後は吹奏楽部に入って打楽器パートで大好きな部活を楽しんだ。 ところが、中3で病が再発。小脳の腫瘍は運動を司どる脊髄や呼吸器付近にも広がっていた。 そんなときに出会ったのが東海大菅生の吹奏楽部だった。夏のオープンスクールで父とともにその演奏を聴いた春輝は、即座に「ここに入りたい」と父に伝えた。重厚で温かみのある東海大菅生のサウンドが春輝の心をとらえていた。 入部したころ、春輝は自力で部活に参加できていた。しかし、夏になると車椅子で通学せざるをえなくなった。そんな春輝を、咲月ら吹奏楽部の仲間やクラスメイトは当たり前のように介助した。 夏の吹奏楽部の合宿にも家族と参加し、秋に行われた定期演奏会にも出演した。体調の良くないときでも、部活にだけ出てくることもあった。 高2になった4月ごろには、部活にほとんど参加できなくなった。自宅療養を続ける間、春輝はベッドから体を起こして練習パッドをバチで叩いた。5月に行われる、コンクールメンバーを決めるオーディションに参加するつもりだったのだ。 オーディションの日、春輝は学校にやってきた。オーディションの演奏はうまくできなかったが、咲月たちに「よく頑張ったね!」「すごいよ!」と讃えられた。どんな状況でも前向きに練習を続ける春輝の姿から、5人は多くを学んだ。 その1ヵ月後の6月16日、春輝は星となった。 1年が経ち、高3になった咲月たちは最後のコンクールに挑もうとしていた。自由曲は創部40周年記念の新曲に決まっていたが、咲月たちは加島先生に「曲を変えたい」と異例の申し出をした。 「宇宙(そら)にいる川内くんに届けるために『宇宙の音楽』を演奏したいです」 咲月たちの思いを、加島先生は受け入れた。 東海大菅生は予選を突破し、東京都吹奏楽コンクールで「宇宙の音楽」を演奏。加島先生は指揮台に自分と春輝のツーショット写真を置いて指揮をした。打楽器パートの咲月たちは、“6人目”の同期の存在を感じながら熱演を繰り広げた。 審査の結果、東海大菅生は10月23日に行われる全日本吹奏楽コンクールへの出場が決まった。 「次も川内くんに演奏を届けよう!」 最高峰のステージで、東海大菅生は大切な仲間のために奏でる。宇宙まで届く音楽を――。 拡大版はぶらあぼONLINEで!→♪♪♪左から岩波楓さん、鈴野花季さん、奥村凛さん、桶田咲月さん、河原由佳さん、加島貞夫先生演奏中の川内さん打楽器パートの仲間たちと53
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