eぶらあぼ 2022.10月号
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In Memoriam Radu Lupu 1945-2022 おわかれは言っていない。それが最後になるなんて、まったく思いもしなかったから。 それから、いつのまにか時が過ぎるうち、ああ、もう会えないのかな、と思うことは、あった。だんだん、そんな気配が強くなってくるようだった。 いったい、いまこうして、なにを書いているのだろう? いろいろなことを先延ばしにして、それで、すべてが手遅れになる。でも、ほんとうにそうなのか。大事なことに関しては、ずっと手遅れだったのではないか。 ラドゥ・ルプーの演奏を私が最後に聴いてから、5年が経った。この5年間はなんだったのか。最初の半分は次の機会を心待ちにうかがっていた。後の半分は、心ひそかに、ひたすら健康と平穏を祈った。だんだん、もう会えないのだ、ということがわかってきた。 2017年のヨーロッパでのリサイタル・ツアーが、私が聴いたルプーの最新の記憶となってしまった。それから2年が過ぎて、かの音楽家はひっそりと引退した。2019年6月21日、という日付を、私がはっきりと記憶に刻んでいるのは、その最後のコンサートの場にいなかったからだ。そうして、認めにくいことだが、私はひとつの情熱を失った。 それからというものルプーはピアノにまったく触れていないらしい、ということが人づてにきこえてきた。彼にとって、もはや時は満ちていたのだ。その後、パンデミックが起こり、長く収まらないでいるうちに、戦争までもはじまった。ヨーロッパは一気に遠のいたように感じられた。その間もよくルプーのことを思った。 2022年4月になって、彼がこの世を去ったときいた。悲しい知らせは、ルプーに近しい知人からすぐにやってきた。それは、ほとんど無言電話にも近い、空白のメッセージだった。ぽつぽつと電話で話しながら、怖れていたいつかが、たったいまやってきてしまったということを、すぐには受け容れられないでいるのが、おたがいにわかった。それはそうだろう。でも、もう誰もその気高い魂をいたずらに引き留めてはいけないのだと思った。 大きな空白が落ちてきた。静けさ以外では、どうすることもできない余白が、私の生きる時間にごっそりと穴をあけた。しかし、それと同時に、私の気持ちはひとつの音楽に重なるように、ひとすじにまとまっていった。©Pekka Saarinen44最後から2番目の祈り ――ラドゥ・ルプーをおもう最後から2番目の祈り ――ラドゥ・ルプーをおもう青澤隆明青澤隆明

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