eぶらあぼ 2022.9月号
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127 今年の夏、久しぶりにバイロイト音楽祭に行った。前回公演に接したのは、大植英次指揮の《トリスタンとイゾルデ》(2005年)だから、実に17年ぶりである。今回は同じ《トリスタン》のシーズン開幕公演を、ローラント・シュヴァープの演出、マルクス・ポシュナーの指揮で観ることができた(7/25)。 バイロイトのオープニングは、社会的イベントである。政治家や俳優、各界の著名人がはせ参じ、レッドカーペットの上を通る。今年もメルケル元・首相をはじめ、たくさんのセレブが集結して活況だった。テレビや新聞のレポーターのみならず、近隣の人々が人だかりを作り、ちょっとハイソな雰囲気。通常ドイツのオペラ公演では、初日でもお客さんが正装することは少ないが、バイロイトの開幕公演は、女性はイブニングドレス、男性はスモーキングが基本である。社会の上層部に属する人々にとっては、自分のステータスを披歴できる、数少ない機会と言えるかもしれない。 しかし、そうしたなかで困るのは、バイロイトには舞台がはねた後に行く場所がない、ということである。上演は通常、夜10時に終わるが、その時間には、市内のほとんどのレストランが閉まっている。少なくとも、着飾った観客がオペラの余韻を楽しみながら食事できるような店は、祝祭劇場裏手の「ビュルガーロイト」のみである。ここは音楽祭期間中、オープンエンドで開いているが、予約なしで席をゲットするのは至難。かつては「緑の丘」の下に居酒屋があり、貧しいオペラファンはそこで一杯やったものだが、残念ながら廃業してしまった。オープニングの招待客は、バイエルン州政府(音楽祭の出資者)のレセプションがあるので問題ないが、筆者のようなフツーの人間は、ビュルガーロイトが頼みの綱となる。 せめてフェスティヴァル期間中だけでも、市内のレストランが開いていればいいのだが、バイロイトでは、何十年も前からそういう動きは起きていない。夏に街中で起きる変化と言えば、商店のショーウィンドウにワーグナーの小さな胸像が置かれる程度。音楽祭をビジネスにつなげよう、という発想自体が希薄なのである。そもそもまともなホテルが存在せず、休暇を楽しみながら優雅に滞在することができない。筆者でさえビジネスホテルは嬉しくないが、遠方や海外から来る人々は一体どこに泊まっているのだろう。街を挙げて音楽祭を盛り上げるザルツブルクとは、まさに対照的である。 なぜ変わらないのかの理由は、おそらくバイロイト市民の気質にある。ワーグナーがバイロイトを音楽祭の場所に決めたことは、市民の意思とは無関係のことだった。彼らからしてみれば、「勝手にやって来て、勝手に始めた」わけで、自分とは関係がない、という感じなのである。市民が自由に公演を観られるわけではないことも、距離を作っている原因だろう。総監督のカタリーナ・ワーグナーは聡明なので、何もしていないわけではないだろうが、バイロイト市民と音楽祭の関係が変わるには、抜本的な改革が必要と思われる。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。 No.74連載城所孝吉商売っ気のないバイロイト市民と音楽祭の関係

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