eぶらあぼ 2022.08月号
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 山形に行ったら、ぜひ山形市役所を訪れてほしい。市役所の外観の大きなウィンドウに山形交響楽団のコーナーがある。それも楽団の写真というに留まらず、直近公演チラシ、年間スケジュール一覧、さらにはなんと楽員全員の写真と名前が一人ずつ掲示されているのである。山形駅にも、町のそこかしこにも(自動販売機にまで!)、山響の写真や紹介が飾られたり貼られたりしている。それは驚きの光景だった。ここまで町を挙げてオーケストラを押し出しているところは他にあるのだろうか。 山響の創立は1972年。東北初のプロ楽団として創立され、いまや国内屈指のユニークな活動と音色を誇るオーケストラとして認知されている。何より特筆したいことは、創立名誉指揮者・村川千秋の「子どもたちに音楽のミルクを届けたい」という理念が途切れることなく、県内各地の学校で演奏を披露する「スクールコンサート」を継続してきた結果、延べ300万人の子どもたちがその演奏を体験してきたという事実である。実質的にほぼすべての山形育ちの人々が山響の音に触れてきたといっても過言ではないだろう。 今年は創立50周年という大きな節目の年であるが、半世紀の積み重ねが地元の文化を豊かにし、地元の人々から親しまれ、楽員が町で声をかけられることもあるという関係性を築いた。そのあり方は全国にも影響を与えていて、文化大使としての貢献の大きさも計り知れない。 山響が広く知られるようになったのは、長期にわたり常任指揮者(2004~07年)・音楽監督(2007~19年)を務めた飯森範親の貢献が大きい。アンサンブルを鍛え上げる一方で発信力も高めて、演奏の質と知名度を向上させたことで、全国から聴衆が集ま36山形交響楽団 ©Kazuhiko Suzuki取材・文:林 昌英創立50周年!躍進めざましい山形交響楽団現地レポート

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