eぶらあぼ 2022.08月号
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33取材・文:加藤浩子 《シッラ》の普遍的なメッセージはどこにあるのだろうか。ビオンディ「バロック時代のオペラ・セリアは、ハッピーエンドで締めくくられます。最後に希望があるのです。日本にも『明けない夜はない』という言葉がありますよね」彌勒「歌舞伎も似たようなものです。悪人が劇中では死んでも心の中では改心していて、それがハッピーエンドに繋がる。それがまた、今の社会状況にリンクしたりします。2年半前に中止に追い込まれて絶望に近い気持ちを味わった公演が、再び上演の機会を得てお客さまに素晴らしい音楽を届けられる。それも普遍的なメッセージですよね」 パンデミックの出口が見えてきた一方で、ロシアによるウクライナ侵攻が始まってしまった。ビオンディ「《シッラ》は独裁者の物語。偶然にも、世の中の独裁者への批判的なメッセージを発することになってしまいました。戦争を引き起こした独裁者がシッラのように改心してくれればという希望を抱いて上演することで、社会的にも意味のある上演になるかもしれません」 《シッラ》は、数多いヘンデル・オペラの中でもビオンディが特に入れ込んでいる作品だが、その大きな理由はもちろん音楽にある。ビオンディ「《シッラ》を日本で上演したいと思ったのは、音楽が素晴らしいから。ヘンデルの素晴らしい音楽がぎゅっと凝縮されているのです。 上演時間が短いのも利点です。今の時代、4時間もかかるバロック・オペラに付き合うのは難しい。初演のきっかけもわからないような『謎』が多いのも魅力ですね」彌勒「短い作品ですから、カットなしで上演できるのも大きなメリットではないでしょうか」 この神奈川県立音楽堂でのバロック・オペラのシリーズをはじめ、ビオンディは知られざる作品の紹介に積極的に取り組んでいる。ビオンディ「満席にするために同じ作品ばかり上演するのは危険です。観客は知的なのですから、未知の作品を紹介するのは重要です。このシリーズに関しては、リスクを冒して新しいものを上演させてくれる神奈川県立音楽堂の貢献に感謝しています。 文化は『マーケット』ではありません。魚市場とは違うのです。音楽は『命の糧』なのですから」ヘンデルの音楽エッセンスが凝縮されたバロック・オペラ《シッラ》 待望の日本初演 2020年2月、新型コロナによるパンデミックの影響で中止に追い込まれたファビオ・ビオンディ指揮、エウローパ・ガランテによるヘンデルのオペラ《シッラ》日本初演。神奈川県立音楽堂での公演準備もすべて整い、リハーサルも順調に進んでいたなかでの突然の中止は「日本における最も劇的な経験だった」(ビオンディ)、「舞台に関わった半生の中で、あんなに悲しい出来事はなかった」(彌勒忠史)。 それから2年半。とうとう《シッラ》が実現する。「このプロダクションを上演できるのは『再生(ルネッサンス)』のように感じます」(ビオンディ)。 ビオンディと彌勒が意気投合したのは2年半前。「演出と音楽のアイディアが一致し、すべてがうまくいっていた」(ビオンディ)という。指揮と演出のアイディアが一致するプロダクションは幸福だが、どのような点で意気投合したのだろうか。ビオンディ「2人が一致したのは、物語をきちんと観客に伝えたいということです。バロック・オペラは複雑な話が多いので」彌勒「複雑に感じるものを複雑でないように観客に届けるのはこちらの仕事です。今回、お客さまが日本人だということを考え、『和』の要素を取り入れました。《シッラ》は古代ローマ時代の物語ですが、それにこだわらず、人間のドラマとして普遍的なテーマをデフォルメして見せ、世界中どこでも面白がっていただけるプロダクションにしたいと考えました」ビオンディ「日本的な要素を入れるのは重要です。オペラの普遍的な部分である愛や怒りや嫉妬といった感情は、全世界共通のもの。オペラは『感情の庭』なのですから」 前回(2015年)、ビオンディと協働したヴィヴァルディのオペラ《メッセニアの神託》では能の要素を取り入れた彌勒。今回のテーマは歌舞伎だという。彌勒「歌舞伎とオペラはほぼ同じ時期に生まれ、バロック的な表現、光と影のコントラスト、ケレン味、スペクタクルといった共通項があります。それを探るのはとても面白い作業です。日本の美を取り入れることで、ビオンディとエウローパ・ガランテが日本で《シッラ》を上演する意味が深まるのではないでしょうか」ビオンディ「彌勒さんのアイディアで気に入ったのは、バロック・オペラに求められる視覚的な驚きの要素です。たとえば『エアリアル』の採用は、観客を驚かせるのにとても効果的だと思いました」

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