eぶらあぼ 2022.08月号
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29取材・文:青澤隆明 ミッシャ・マイスキーはもっとも日本を愛し、人々に愛されてきた演奏家のひとりだろう。この秋のツアーで1986年以来、来日も実に53回目を数える。「日本でのコンサートも10月で400回を超えるかな。“ガイジン”演奏家ではまずいないそうですね」と5月の来日時に再会した彼は嬉しそうに言った。 秋のプログラムは、バッハの無伴奏組曲。どれだけ弾いても「まだ十分ではない」とマイスキーは語る。 「すべての演奏会がチャレンジではあるけれど、バッハはやはり最大の挑戦。師のロストロポーヴィチも55年前に『バッハはもっとも至難な課題だ』と言っていましたよ。自分の持てるすべてを出さなくてはいけません。でも、それは楽しいチャレンジなのです」 この名作をマイスキーの演奏で初めて聴いたという若い世代の聴き手も、いまや多くいるだろう。 「だとしたら、とてもうれしい。保守的で古風なイメージとは違って、この作品はタイムレスで、境界も限界もない。音楽が心から出てくるものであれば、誰しも心はもっているはずですから(笑)、知識がなくても楽しみ、味わうことができます。実際、40タイトルを超える私のディスクのなかで、いちばんたくさん売れたのはバッハの組曲。YouTubeに上げた映像も信じられない再生数になっています」 6歳年上の兄が11歳の誕生日に贈ってくれたチェロ組曲の楽譜はいまも大切な宝物だという。 「どれだけ弾き込んでいても、いつもエキサイティングななにかが起こる。終わりのない旅です。私にとって、バッハはいつも変化している。音楽は生き物です。完璧に辿り着くなんてイリュージョンですよ。地平線とおなじで、近づいたと思った分、離れていくもの。私がいつも心がけているのは、バッハのような高みにある音楽を、できるだけ汚さないようにすることだけです」 マイスキーはこの組曲を、ロストロポーヴィチのもとで学んだし、カザルスの前で弾いたこともある。 「私が弾き終えると、カザルスは『どれもこれも、バッハとはまったく関係がない』と低い声で言いました。『だが、君はとても確信をもって弾いている。だから、聴いていて説得力がある』と。最大の賛辞と受け取りました。だいぶ前にカザルスのニュー・リマスター盤を聴きましたが、自分でも驚くことに、私のバッハ演奏は誰よりもカザルスに影響を受けていたのです! まったく違う解釈なのですが、それでもなにかしら無意識のうちに」 バッハの音楽にはあらゆる感情が宿っている。 「だからこそ、バッハをバロックの枠に閉じ込めて矮小化するべきではない。バッハはどんなフレームもはみ出すほど巨大です。はるかに未来を歩んでいたのですから、300年前の様式で演奏するのは、彼の精神にまったく反していると私は思います。もしかしたら、私は完全に間違っているかもしれません、バッハその人に会ったことはないですから(笑)。これはたんに私自身の感覚と意見にすぎない。人間はお互いに学び合うことができるし、過ちからも学ぶことができます。それぞれが異なる文化、伝統、生活様式をもっているのは素晴らしいことなのに、これが人類最大の問題ともなっている。不幸なことに、人々の大半は違いを怖れます。私はバッハ組曲のディスクを55種以上もっていて、すべてをくり返し聴きますが、いつも興味深く、学ぶべきことが見出せますよ」 マイスキーの言うとおり、音楽は多様な立場の相異を超えた理解の架け橋であるはずだ。 「私の両親はウクライナに生まれました。私はラトヴィアの生まれで、ロシア人ではありませんが、ロシアで成長し、ロシアの芸術や文化を愛しています。昨今の悲惨な事態には、ほんとうに言葉もない。情況は複雑で、誰もが被害を被っている。極端な反応というのはつねに危険なものです。 今年3月27日、トロントでバッハを弾くコンサートの前に、私はひとことアナウンスしました。『ロストロポーヴィチ95歳の誕生日に、彼を称えたい。そして私は願うのですが、彼は晩年プーチンと近かったにも関わらず、生きていたらこの酷い戦争に反対を表明したに違いない。だから私はこのコンサートを、悲惨な戦争の罪のない犠牲者すべて、両国の犠牲者に捧げたいと思います』と」Profileラトヴィア共和国生まれ。ロシアで学び、のちにイスラエルに移住。以後、ロンドン、パリ、ベルリン、ウィーン、ニューヨーク、東京をはじめ世界の主要コンサートホールで演奏活動を展開、熱狂的な支持を受け続けている。バーンスタイン、ムーティ、バレンボイムといった名指揮者、アルゲリッチ、キーシン、クレーメルほか世界のトップ・アーティストと共演。使用楽器は、1720年製のモンタニャーナ。バッハには境界も限界もない人間は互いに学び合える

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