eぶらあぼ 2022.08月号
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125 シューマンの歌曲集「子どものための歌のアルバム op.79」のなかに、〈待雪草〉という曲がある。「Schneeglöckchen」という名は、日本語ではこう訳されているが、1月末から雪のなかで咲く白い花は、春の最初の訪れを告げるとされる。つまり「雪鈴草(=直訳)」「待春草」と呼ぶ方がふさわしい。シューマンにおける歌詞も、まさに春を希求する内容である。「昨日天から舞い降りた雪は/今日鈴となって柔らかな茎にぶら下がっている/雪鈴草は、鈴を静かな野原で震わせるが、それは何を意味するのだろうか/春よ、早くやって来い、とその訪れを呼び起こしているのである/まだ眠り、夢見ている木々の葉よ、花々よ!/さあ春の聖域に向かって、目を覚ますのだ!」 シューマンはこのシンプルな歌詞に、冬の野原に咲く可憐な花を連想させる音楽を付けている。ひんやりとしたテクスチュアの分散和音の上で、ソプラノがおずおずと春への希望を歌いだすが、曲調は「子どものための歌のアルバム」という名が示唆するような、他愛のないものではない。春の訪れを心底待ち望む、刹那的とも呼べる祈りに満ちているのである。 この曲が、なぜこんなに自分を揺さぶるのだろう、と気になったので、待雪草の由来を調べてみた。するとその花言葉は、「希望」「慰め」であるという。「希望」は春の訪れにつながるので了解できるが、「慰め」とはどういう意味なのだろうか。実はこの花には、創世記にまつわる言い伝えがある。楽園を追放されたアダムとイヴが、地上で初めて冬を体験した時のこと。イヴが雪の降った野原で、荒涼たる光景と身に沁みる寒さを嘆いていると、天使が降り立って一面の雪を白い花に変えたが、それが他ならぬ待雪草であった。つまりふたつ目の意味は、天使の慰めに由来するのである。 シューマンが1849年に同曲を書いた時、彼の内面は深い悲しみと諦観に満たされていた。9年前にやっとの思いで達成したクララとの結婚後、彼は社会的にも経済的にも、一家の大黒柱としての役割を果たせずにいた。より有名で、家計も支えていたのは、まぎれもなく彼女の方だったからである。シューマンは、クララの演奏旅行に同行すると、「有名ピアニストの旦那さん」扱いされたが、屈辱的な経験は、徐々に彼を蝕んでいった。後期の作品がおしなべてメランコリックなのは、そのため。希望をもってスタートした結婚は、彼が望んだ通りにはならず、シューマンは、自分が天から転げ落ちた天使であると感じていた。 バロックの調性理論で「慰められない悲しみ」を意味する変ホ長調で書かれた〈待雪草〉が、我々の心を打つのもそのためである。シューマンはここで、楽園を追放されたイヴのように、自分を苦悩から解放してくれる春の訪れを、心から希求している。彼の晩年の作品を読み解くカギは、煉獄から天上に向かおうとする憧憬と、そこに達せられない悲しみの間にあるのである。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。 No.73連載城所孝吉シューマン晩年の作品を読み解くカギとは?

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