eぶらあぼ 2022.6月号
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103 今年は4月後半だったイースターだが、読者の中には以前より以下のことを疑問に思っている人もいるのではないだろうか。聖週間から復活祭の期間には、聖金曜日にイエスの磔刑死を悼む祭儀が、復活祭日曜日に復活を祝うミサが行われる。その際、受難曲等の聖金曜日ないし聖週間に関連した音楽作品は多いが、復活祭自体に関連した曲はほとんど存在しない…。 ドイツでは、聖金曜日の前にはバッハの「マタイ受難曲」「ヨハネ受難曲」、モーツァルトやヴェルディの「レクイエム」、ペルゴレージやロッシーニの「スターバト・マーテル」、クープランの「ルソン・ド・テネブル」等が好んで演奏される。聖金曜日の「主の受難(カトリックの祭儀)」でも、イエスの逮捕から死までの聖書朗読が、バロック受難曲のレチタティーヴォで朗誦されることがある。しかし復活祭に直接関連した音楽は、バッハの「イースター・オラトリオ」とヘンデルの「復活」くらいしか知られていない。これはなぜなのだろうか。 それは、イースターの音楽がずばりミサ曲だからである。カトリックでは、ミサとはキリストの犠牲と復活から生命のよみがえりを体験する儀式である。ワインとパンは彼の血と肉体であり、信者がそれを飲み食べることによって生きる力を得る。これはイエス自身が最後の晩餐で使徒たちに教えたリチュアルなのだが、それがミサで繰り返されるのだ。一方、聖木曜日から復活祭日曜日の典礼では、最後の晩餐から復活までがリアルタイムで再現され、普段1回のミサで祀られることが4日かけて行われる。逆に言うと、通常のミサはそのダイジェスト版であり、イースターこそが「大ミサ」なのである(筆者の行く教会の神父は、「普通の日曜日のミサは、“ミニ復活祭”です」と要約していた)。 それゆえ復活祭で演奏されるのは、まぎれもなくミサ曲となる。ミサ曲は周知の通り、典礼の重要な祈りや賛歌を音楽化したもので、ハイドンやモーツァルトの時代までは、儀式の中で使われることを前提にしていた。ミサは、ミサ曲の最後に来るアニュス・デイで終わるのではなく、聖体拝領はこの後に行われるし、さらに閉祭の儀式もある。「実用向け」のミサ曲において、アニュス・デイがいまいち尻切れトンボに聞こえるのは、このためだろう。一方、コンサート上演を前提に書かれたミサ曲として、よくベートーヴェンのミサ・ソレムニスが挙げられるが、この作品は確かにフィナーレ的な終わり方になっている。 ベルリンでは、ちょっとお金のある教会では、復活祭月曜日のミサを、オーケストラと合唱によるミサ曲と聖体拝領で行うこともある。しかし演奏会では、その前に受難曲等が数多く取り上げられるので、イースターの後でさらにミサ曲を演奏する、ということはあまりないようだ。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。 No.71連載城所孝吉イースターに関する音楽が少ないのは一体なぜ?

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