eぶらあぼ 2022.04月号
114/145

111 ドイツ語は名詞に性差がある言語なので、ダイバーシティ全盛のドイツでは、すべての性を含意した表記を用いるべきだ、という議論がある。例えばピアニストPianistという言葉の複数形を書く場合に、男性の複数形Pianistenを書くのはよろしくない、という考え方。ピアニストには女性もいるので、それを含意するべきだというわけである。そこで両性を含意する表記はどうかというと、現在定着しつつあるのはPianist*innenだ(Pianistの女性形はPianistin。その複数形はPianistinnen)。つまり、男性形と女性形語尾の間に「*」が入る。 この表記は、若い人たちの間ではすでに定着しており、大学等では当たり前だそうである。むしろ使わないと、白い目で見られるらしい。政治家の演説等では、以前はPianisten und Pianistinnenと男女の複数形両方を言うことになっていたが、昨年、Pianist*innenだけを言うのを聞いて、ちょっとびっくりした。つまり聴覚的には、女性形の複数形だけが聞こえる。星印のところで短い間を置くことで聴覚化するらしいが、よっぽど強調しない限り女性形の複数形だけと感じられる。 そもそもこの形では、男性でも女性でもない「divers」が含まれていないと思うのだが、そんなことはないという。「*」は男性と女性の中間にある「はざまの存在」を象徴しているため、diversも表している(!)というのだ。しかしフェミニストの団体では、男性形のあとに女性形が続く順序自体が、「女性を二次的にとらえるイデオロギーを反映している」と主張している。冗談のようだが、本当の話。ネットで調べると、これらの議論が専門家によって激しく戦わされていることがわかる。 もちろんこの書き方については、ドイツ社会全体で賛否両論がある。ベルリン・フィルの「デジタル・コンサートホール」では、最近指揮者の複数形にDirigent*innenを導入したが、ユーザーからクレームもあったという。ソリストならともかく、ベルリン・フィルに登場する女性指揮者は、男性指揮者に比して非常に限られているからである。もちろんマイノリティは、少数派であるがゆえに保護されるべきだが、政治的な正しさを狙っただけで現実に即していない実感は、特に指揮者のコンテクストでは否めないだろう。 筆者は仕事柄、ドイツの音楽団体がウェブサイトの表記等で苦労している話を聞くが、名詞に性差が存在しない日本語はつくづくいい言葉だと思う。日本でも、女性やそれ以外のジェンダーの権利は、当然守られるべきである。しかし、名称のポリティカル・コレクトネスは、ドイツ語がこのような性格だから存在するのであって、言葉が性差を持たなければカスミのようなもの。ドイツ人が侃かんかんがくがく々諤々の議論をしているのを見ると、「いかにもドイツだなぁ」と苦笑してしまう。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。 No.69連載城所孝吉「政治的に正しい」ピアニストの表記とは?

元のページ  ../index.html#114

このブックを見る