ぶらあぼ2022年3月号
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91 ウィーン男声合唱団といえば、J.シュトラウスⅡが「美しく青きドナウ」を捧げたアマチュア・コーラスである。その由緒ある団体が今、「女性のテノール」を探しているという。冗談のようだが、本当の話。元々テノールは特殊な声域で、絶対数が少ない。同団では、メンバーが高齢化したりコロナ禍による逝去(!)が相次いだため、女性団員の募集に踏み切ったのである。これは当然ながら、独語圏の新聞・ニュースを騒がせた。 とは言うもののドイツ、オーストリアでは、女性テノールは必ずしも未知の存在ではない。教会等の合唱団では時々見かけるし、筆者の行くベルリン・聖ヘトヴィヒ大聖堂(カトリック教会の司教座聖堂)にもいる。テノール・グループに背広を着て歌っている女性がいたら、それが女性テノール。読者も体験したことがあるだろうが、ヨーロッパの(ちょっとお年を召した)女性のなかには、とても低い声でしゃべる人がいる。大抵は、べらんめえ口調のエネルギッシュなおばさんなのだが、そういう人は、十分にテノールの声域も歌えるのである。高声男性の不足はどこの合唱団でも同じなので、女性テノールはひとつの選択肢としてあり得るのだ。 しかしこれは、もちろんアマチュア合唱に接する機会がある人にとっての話。一般の人は、やはり「ええっ」と驚く。だからニュースになるのだが、現地で派手に取り上げられたのは、ダイバーシティが日常化したこととも関係している。ドイツでは、3年前より「Divers」つまり男性でも女性でもない性別が、戸籍に登録可能となった。生活の上でも、大企業が「だれでもトイレ」を設置したり、テレビドラマや広告でもLGBTのテーマが一般化している。世の中の動きとしてダイバーシティが注目されているなかで、長い伝統を誇る、しかも保守的な男声合唱団が性差のゆらぎを取り入れたことは、人々の心に響いたのである。それゆえ報道内容も、好奇心が伴う一方で、全体としては真面目な調子だった。 面白いのは、ウィーン男声合唱団団長ヴィルフリート・マンドル氏の話である。彼によると、1月の募集発表後、予想以上に大勢が応募し、なかには「バスを歌いたい」という人さえいたという。 「問題は皆、歳を取りすぎていることなんです。80歳以上の人の採用は、あまり意味を成さない。何年残るかわかりませんからね。でもそれを言うと、“私は元気で、テニスもやります”と言われる。断るのが大変なんです。2月にもう一度オーディションをしますが、十分候補者がいるので、50~60歳の人から選べるでしょう」 バスを歌う女性までいるのには驚きだが、それについてはマンドル氏は苦笑い。「女性バスは要りません。男性で歌える人が十分いますから」。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。 No.68連載城所孝吉ウィーン男声合唱団が女性テノールを募集

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