第89回 「マスクを外すのが恥ずかしい人々」 「コロナ禍のマスク生活が続いたので、人前でマスクを外すのが気恥ずかしい」という書き込みがネット上で話題になり、「わかる!」と賛同者が相次いだ。さらには「平安時代は恋人でも顔を見せるものじゃなかった」「男が人前で髪を見せるのは局部を見せるより恥ずかしいことだった」という古(いにしえ)の人々の羞恥心について古典の文献を引きながらよくわからない格調の高さのツッコミを見せたりしていた。 現状、日本はマスク装着の遵守率が世界から見ても高い。もともと花粉症対策でマスクは馴染みのあるものだったが、それ以前から風邪気味でマスクをして街を歩く人は冬の風物詩ではあった。もっとも初来日した外国人の目には奇異に映っていたらしく、「なぜこんなに街中に医者が溢れているんだ?」と訝しく思ったという話はよく聞いた。彼らにすれば医者でもなければマスクなんてものをするわけがない、という認識だったのだ。 社会問題をテーマにする作品が多いドイツの振付家ヘレナ・ウォルドマンは自身の作品『ブルカ・ボンデージ』のなかで、イスラム教徒のブルカを取り上げていた。ブルカは女性の肌を隠すヴェールの中でも、目の周りが薄い網状になっている以外はすっぽりと頭から全身を覆っているもの(目の周りだけあけているものもある)。イスラム教で女性が肌を隠さなければならないのは「男性を惑わせるから」とされているが、フランスやベルギーなどヨーロッパ各国ではこれを「女性の人権を侵害するもの」として非難、公共の場所での着用を禁止した。 男女平等の観点からすると当然のようだ。しかし背景にはヨーロッパ社会におけるイスラム教徒との軋轢があり、テロリスト対策や、なにより「ヨーロッパ社会に馴染もうとしない、対話の拒否の象徴」と受け取る人も多い。Profileのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com102 ウォルドマンは作品中でブルカ着用の女性にインタビューしているが、人権侵害よりむしろ「安心する」と語っていた。じっさい本来は「女性の魅力に惑わされた男の暴力から守るため」という意味もあるという。もっとも素顔を晒すことに心理的な抵抗が芽生えていても、いまの日本人なら容易に理解できそうだが。さらに「女性の自由は、肌を出す量で決まるものではない」「これは私たちの宗教であり文化なのだ」との言い分があり、難しいところである。 ダンスにおいても「身体の何を見せ、何を隠すか」は非常に重要な問題である。 身体がまとう服には、多くの社会的な意味合いがついて回る。性別や年齢、生活レベル、社会的な役割等々。しかも衣裳の「意味合い」はTPOで変わってくる。衛生器具だったマスクが、いつしか顔を覆い安心感をもたらすアイテムへと変わり、それも別の国に行けば憎悪の対象にまでなってしまうように。 さらに、もしも振付家が作品中で「ここでは性別を超えた、ひとりの人間の身体として見てほしい」と思うのなら、「観客に対して身体が発する情報をいかにコントロールするか」を熟慮する必要がある。動き以前に考えるべきことは、山ほどあるのだ。コンテンポラリー・ダンスはその特性として、世界へと開かれていくものなのだから。乗越たかお
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