eぶらあぼ 2021.12月号
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101カラヤンの「清純派志向」のルーツはR.シュトラウス? バイエルン学術アカデミーは、R.シュトラウスの批判校訂楽譜の出版に取り組んでいるが、先日その枠で《サロメ》の3つの総譜が発売された。そのうちのふたつは、現行版とワイルドの原作を基にしたフランス語版(旋律が仏語の抑揚に合わせて変更されている)。3つ目は、1930年のドレスデンでの上演用に改訂されたヴァージョンである。この「ドレスデン版」では、主役を軽い声のソプラノに歌わせるために、オーケストレーションを薄くしてある。作曲家が当版を着想したのは1910年代末のことで、サロメにはエリーザベト・シューマンを考えていた。 《サロメ》は、総勢100人のオーケストラを必要する大作で、主役は通常、ドラマティック・ソプラノによって歌われる。彼女たちの声は、往々にして猛々しい絶叫型のものだ。サロメは気まぐれでわがままな美少女であり、R.シュトラウスはイメージに合う可憐な、つまりリリックな声のソプラノに歌わせたいと思ったのである。その発想には説得力があるが、「ドレスデン版」の初演は、やや失敗に終わった。主役歌手の声は、可憐というよりは貧血症気味で、あまりインパクトがなかったのである。その後この版は、1940年代には取り上げられていたが、戦後以降は廃れていったという。 以上の話を聞いて思ったのは、「カラヤンが似たようなことをしている」ということである。彼はオペラの録音で、プリマドンナ役に軽い=リリックな歌手を登用することを好んだ。《ニュルンベルクのマイスタージンガー》のドナート(エーファ役)がそうだし、《ワルキューレ》のヤノヴィッツ(ジークリンデ役)がそう。極め付けは、《トゥーランドット》題名役のリッチャレッリである。《サロメ》も、ドラマProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。ティック・ソプラノとしてはスレンダーなベーレンスが歌っている。 カラヤンがこのような配役ができたのは、録音では、オケを突き抜ける声がいらないためである。音はマイクが拾ってくれるし、難しいところで多少しくじっても、録り直しがきく。オケを存分に鳴らせる一方で、主役がイメージに合致する、完璧な全曲盤が作れるのである。R.シュトラウス自身は、スコア自体を作り直したのだから、同じ結果に到達するのに、たいへんな苦労をしたことになる。彼がカラヤンのやり方を知ったら、歯軋りして羨ましがったに違いない。 と、ここまできて思い返したのだが、事情は実は逆だったのではないか。カラヤンは1930年代に活躍を始め、小都市のウルムで《サロメ》を振っていた。この時彼が使った楽譜は、ひょっとすると「ドレスデン版」だったのかもしれない。作曲家自身、他の指揮者にこのヴァージョンを勧めており、カラヤンがそれに感化されていた可能性はある。つまり、「大管弦楽の作品でリリックな歌手を使う」という発想は、R.シュトラウスが出所で、カラヤンの方が譲り受けたのである。そう考えると、彼のオペラの名盤が別の光のもとに見えてくる。城所孝吉 No.65連載

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