117“指揮者なし”の話題の新団体がオペラを上演 9月下旬、指揮者なしで演奏する気鋭の室内管弦楽団「c/oチェンバー・オーケストラ」の演奏会に行ってきた。同楽団は、BISレーベルからデビューCDをリリースしたばかりで、ちょっと気になる存在。今回は、プーランクの《人間の声》をセミ・ステージ形式で上演する、というプログラムだったが、もちろん「指揮者なし」である。 これがどんなに大変なことかは、明白だろう。合奏で難しいのは、伸縮するテンポのなかでアインザッツを合わせること、そしてアインザッツを逃さないことである。指揮者の役目とは、これを円滑に機能させることにほかならない。古楽アンサンブル等では、指揮者なしで演奏することが多いが、それが可能なのは、曲のテンポが一定しているからである。一度演奏がスタートすれば、波に乗ってアンサンブルを合わせることができる。しかしロマン派以降の作品では、曲中で楽想・テンポが変わることが頻繁になる。演奏においては「慣性の法則」が働くので、オーケストラも車と同様に、急には止まれない。バラバラにならないように加速・徐行するが、「音頭取り」が必要なのはそのためである。指揮者には、テンポをコントロールしながら全体を率いる技術が求められる。 …それだけなら、あるいはまだできるかもしれない。しかし今回彼らが挑戦したのは、1959年に初演された元祖・現代オペラである。リズム・拍子が複雑で、テンポも刻々と変化し、オーケストレーションも多層的。そして、歌が付いている。演奏後メンバーに裏話を聞くと、コンサートマスターが拍子を取るだけでなく、全員が各楽器の入りをパート譜に書き込んで、誰が先導を切るのかを明確にして演奏Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。したという。なかには、歌手が小道具を手に取った瞬間にアインザッツ、という場面も。メンバーの自主性と団結力には、本当に頭が下がる。 筆者はその努力を賛嘆してやまないのだが、同時に、「そこまでして指揮者なしでやる意義は?」と問わずにはいられなかった。技術的ハードルが高いだけでなく、舞台に乗せられるまでに、長いリハーサルが必要になるからである。 この作品の場合には、恋人に捨てられて電話ですがり、ついには首にコードを巻いて自害する女の心理を「読み」としてまとめる存在(=解釈者としての指揮者)も必要になる。その感想を、芸術監督のクラリネット奏者、ジェイソン・デナーに伝えると、彼は熱く語った。「それはまったくその通りだ。指揮者がいたら、きっと短い時間で簡単に仕上げられただろう。でも僕たちは、団員同士が同じ目線で共に音楽を作ることの限界に挑戦したいのだ…」 つまり、すべてを承知した上での確信犯である。しかしその意気込みには、「音楽への初心の感動」が表れていて、清々しい気持ちにさせられる。彼らが今後、どんなレパートリーに挑戦するのか、ぜひ見守りたい。城所孝吉 No.64連載
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