33「どんな逆境にあっても愛や幸せを選ぶ決意の大切さ」を教えてくれるアンジェリーナ取材・文:香原斗志 オペラの本場イタリアで認められた世界水準のメゾソプラノ、脇園彩。4度目となる新国立劇場の舞台は満を持しての十八番、ロッシーニ《チェネレントラ》のアンジェリーナ。それも新シーズンの開幕、新制作公演だ。 「だれにでも出会わなければいけない人がいるとしたら、私にはアンジェリーナがその一人。演じるたびに大切なことを教えてくれます」 そう語る脇園も、コロナ禍においては欧米で活躍する歌手の例に漏れず、舞台で歌う機会を失っていた。しかし、「私の人生には歌しかないなと。それも劇場でお客さまと一緒に舞台を創りあげたいのだと、あらためてわかったんです」。 その点では恵まれていたという。 「ミラノの同居人がピアニストなので、ロックダウンの下でも毎日練習できました。また、レパートリーを切り替えようとしていた矢先で、新しい役の練習にしっかりと時間を割けました」 これまで脇園は《セビリアの理髪師》のロジーナのイメージが強かったが、今後はドニゼッティやベッリーニ、ロッシーニならオペラ・セリアに軸足を移そうとしている。だが、アンジェリーナは今後も歌っていきたいという。 「ロジーナ同様にブッファの役ですが、アンジェリーナはタイトルロールなので歌う場所が多いうえ、音楽的にはセリアに近いのです」 そんな役を演じながら、なにを学んできたのか。 「前回、この役を歌ったのは2019年11月、サルデーニャ島のサッサリの劇場でしたが、公開ゲネプロの前に声が出なくなってしまいました。それでも自分にできることは、このオペラがもっている力を伝えることだと思って。それは、どんな人も、いつからでも自分の人生を変えることができる、というメッセージです。アンジェリーナは1817年に書かれたと思えないほど自立した女性。そう思ったら楽譜に書かれている音が自分に突き刺ささり、作品の素晴らしさをあらためて実感したのです」 なんとか歌い終わると、「満場のお客さまが力いっぱい拍手をしてくれたんです。でも一方で、この素晴らしい役を完璧からかけ離れた状態で歌って、申し訳ない気持ちでした。そうしたら“完璧じゃないからいいんだよ”という天の声を聞いた気がして。芸術とは多様性の表現。完璧とは正反対のところに真実があることも多いのです」。 そのとき「愛」の意味を教わったという。しかし、問題が残った。 「《チェネレントラ》を前にすると、条件反射でのどが絞まってしまうんです。そこで、あえて初見のように接して、細かいパッセージもゆっくりと歌ってみたら、恐怖は消えていました。ゼロから始めることの大切さを教わりました」 むろん、表現をさらに深めるための努力も怠らない。 「私の声帯は速いパッセージを歌うのには向いていますが、レガートが弱点でした。その弱点をテクニックで埋めるべく練習すると、以前より低い声が自然に出るようになったんです」 低い音への困難も解決し、脇園史上、最高のアンジェリーナは約束されたが、共演陣はどうか。 「新制作で1ヵ月の稽古期間があって、すぐれた人と時間をかけて舞台を創ることができ、夢が実現するようです」 と彼女が語るその面々は、「歌の輝かせ方を知悉している指揮のレジェンド」マウリツィオ・ベニーニ、「テクニックをひけらかさず人生の美しさを表現できる」アレッサンドロ・コルベッリ、「天性の声に魅了される」ルネ・バルベラ……と、理想のキャストである。 そして、「東京藝大時代の恩師でいつか仕事をしたかった」という粟國淳の演出は、「ハリウッドやチネチッタのような映画スタジオからインスピレーションを得たという舞台で、ローマで試着した衣裳は、大好きな1950〜60年代をモティーフにしたクラシックなもので、私のど真ん中のセンスでした」。 こうなるとオペラの力も倍加するはずだ。 「この作品のメッセージ性の宇宙的壮大さに、私は圧倒されつつ魅了されてきました。アンジェリーナは、どんな逆境にあっても愛や幸せを選ぼうと決意し、王子との結婚式を勝ちとると、その前に“私の復讐は許すこと”と言います。だれかへの怒りを抱いたままでは、いつまでも幸せになれません。幸せは自分自身で選択するもの。それを選び続けることの大切さを、より多くの人に伝えたい」 このコロナ禍、やり場のない怒りを抱く人たちに向けて、これほどタイムリーなオペラもない。
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