105《椿姫》初演失敗の真相は謎のまま? ヴェルディの《椿姫》の初演(1853年、ヴェネツィア・フェニーチェ座)は、ソプラノが太っていて結核を病んでいるように見えなかったために失敗した、ということになっている。これは根強い説で、今ネットで調べても次々に出てくるが、真相はどうだったのだろうか。「肥満説」の出どころは、おそらくエウジェニオ・ケッキ(1838-1932)の『ヴェルディ伝』。「聴衆は、ヴィオレッタの医師が彼女の命はもう数時間だ、と言う箇所で笑い始めたが、それは題名役を歌ったサルヴィーニが、ソーセージのように太っていたからだった」。 初演のソプラノ、ファニー・サルヴィーニ・ドナテッリ(c.1815-1891)が本当に肥満体質だったかどうかは、今では確証がない。ケッキが初演に立ち会っていなかったことは確かで、本が書かれたのは1887年だから、伝聞や別の記述に従ったものと思われる。実のところヴェルディは、彼女の役への適正について疑問を持っており、劇場に別の歌手と契約するように求めている。しかし、容姿についての言及は曖昧で(「この役には若くエレガントな容姿で、情熱的に歌う歌手が必要である」)、今日残されている彼女の肖像画を見ても、でっぷりとした印象は受けない。 それどころか彼女は、初演評では「コロラトゥーラは完璧で、聴衆を魅了し、大きな拍手を獲得した」と絶賛されている。むしろ貶されているのは、アルフレードとジェルモンを歌った歌手で、彼らの出来は本当に良くなかったようだ。しかし、そもそも失敗だったのかと、問い直してみるべきだろう。この時《椿姫》は、計9回上演されており、興行成績としてはまずまずだった。第3回公演では、ヴェルディはすべての幕後に舞台に呼び出され、切符の平均収入もProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。《エルナーニ》初演時の倍以上。つまり大成功ではなくとも、失敗からはほど遠い。 一方ヴェルディ本人は、初日の後、手紙で「《椿姫》は大失敗だった。責任は私にあるのか、それとも歌手たちにか」と書いている。「もっと悪いことに、観客は笑い出した。しかし、それがどうしたのだというのだ、私は昨晩の上演が、この作品の評価を決するとは思わない」。彼はここで、原因が歌手にあったことを仄めかしているが、やり切れなかったのは、歌手の演奏と演技(場合によっては容姿)がドラマとチグハグで、作品の良さを表現しきれなかったためだろう。絶対の自信を持っていた彼としては、真価が理解されなかったことに傷つき、「大失敗」だと感じたのである。 後の評伝が、初演が失敗だったと書くようになったのは、ヴェルディ自身の言葉が原因と思われる。そこにケッキの「ソーセージ」が重なり、「肥満の歌手が歌った」→「失敗した」と短絡されるようになったのである。ヴェルディは翌年、同じくヴェネツィアのサン・ベネデット劇場で《椿姫》を改訂・再演し、大成功を収めている。そこで採用されたマリア・スペツィア・アルディギエーリは、歌唱、容姿、演技力のすべてで、作曲家が意図した通りのソプラノだったそうである。城所孝吉 No.62連載
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