eぶらあぼ 2021.8月号
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97初めてのバイロイト詣と、あの頃、、、 筆者がバイロイト音楽祭に初めて行ったのは、語学留学をしていた1992年のことだった。演目は、レヴァイン指揮、W.ワーグナー演出の《パルジファル》。筆者はこの時、切符を持っていなかった。バイロイトのチケットは、当時入手困難を極め、7年に一度しか回ってこないと言われていた。しかし、劇場前で「チケット求む」と書いた紙を手に持って待っていれば、何とかなるかもしれない、という淡い期待があった。とにかく現地に行って、雰囲気だけでも味わいたい、ヴァンフリート荘も見られるし…、と思ったのである。 バイロイト駅にたどり着くと、中心街とは反対方向にある祝祭劇場に、その足で向かった。坂を上ると、並木道から写真で知るあの劇場が姿を現してくる。感動のうちにあたりを見回すと、券売所付近に人々が立っていた。彼らの話では、午後2時にそこが開いて、戻ってきた残券を売り出すという。それ以外には、「切符を手放したいお客さんをいち早く見つけるのが肝要」ということだった。 この日の公演開始は、午後4時。券売所が開くと、大勢の人々が、すし詰め式にそこになだれ込んだ。その際、誰が列の先頭に並んだかは、問題ではないようだった。怖そうな中年の担当者(知る人ぞ知る「フラウ・ヴォルフ」)が、相手の顔を見て「はい、あなた」と、選ぶのである。選ばれるかどうかは、その夏に何度そこに顔を出しているか、風采はどうか(容姿が良い方が有利)、同情に値するか(切符なしで外国から来ている、等)、によって決まるらしかった。 新参者の筆者は、当然そこでは何ももらえなかったが、開演20分前くらいだろうか、三々五々集まってくるお客さんのひとりが、本当に切符を譲ってくれProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。た。15、6マルク(約700円!)の、桟敷席の柱の後ろの席である。信じられない気持ちでチケットを握りしめると、自分がまだその晩の宿さえ取っていないことに気が付いた。一瞬どうしよう、と思ったが、すぐにどうでもよくなった。バイロイトで、《パルジファル》が観られるのだから。 高鳴る胸のうちに席に着き、4時になると、会場内の照明が落ち、真っ暗な静寂のなかから前奏曲の荘厳なユニゾンが立ちのぼった。その瞬間、筆者は何か神聖なものに触れる気がして、背筋が震えた。その後の6時間半は、レヴァインの息の長いテンポと音響美、全盛期のW.マイヤー(クンドリー)の圧倒的な歌声に、時を忘れた。 10時半過ぎに公演が終了し、夢覚めやらぬ思いで「緑の丘」を下ると、バイロイト駅が見えてきた。当てにしていた飲食店は閉まっており、行き場のない筆者は、仕方なくそこで始発を待つことにした。夏とは言え、ドイツの夜は、気温は12、3度まで下がる。こういう状況になるとは思ってもみなかったので、厚着も持ち合わせていなかった。午前3時を過ぎると、さすがに寒さが身に沁み、歯がガクガクと鳴り出したが、それでも心のなかでは幸せだった。バイロイトで、《パルジファル》が観られたのだから。城所孝吉 No.61連載

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