eぶらあぼ 2021.6月号
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79大歌手ルートヴィヒ「大地の歌」収録での一コマ 4月に93歳で大往生したクリスタ・ルートヴィヒと、レナード・バーンスタインは、マーラーの交響曲や歌曲で幾度となく共演したが、映像で面白いのは、何と言っても1972年制作の「大地の歌」である。当ビデオには、演奏会だけでなく、リハーサルの模様も収められているが、そこで両者は、お互いの我を通そうと「力比べ」をしているのだ。 問題の個所は、第4楽章「美について」。同曲の中間部は、快速なテンポのブルレスケだが、バーンスタインはそれを、類例のないテンポで振る。ルートヴィヒは、あまりの速さに歌詞が乗せきれず、手を振り回してオケを止めてしまう。「こんなのダメ。喋れないわ。ダメダメ!」彼女はプリプリと、バーンスタインが意地悪をしている、といった調子で、オケ団員の前で彼を困らせる。ところが彼は、一応口は合わせるものの、その後もテンポをまったく変えない。彼女も負けずに、「歌えないわ」と突っ張るが、計3回合わせた後、バーンスタインはノーコメントで先に行ってしまう。 ここで何が起こっているのか、すぐにピンとくる人は、オケやオペラの現場を熟知している人である。ルートヴィヒにしてみれば、プロテストする理由はふたつある。ひとつはもちろん、このテンポでは歌いにくいこと。しかしもうひとつは、指揮者が自分に合わせてくれないことが、「原則的に」不服なのである。歌手とは、声という繊細な楽器で勝負するため、他人が自分を大事に扱ってくれないことが、基本的に気に入らない。しかし、直接口にするのは滑稽なので、「意地悪をしているのね!」とオケの人々に見せつけることで、指揮者が折れざるを得ないように仕向けているのだ。 一方バーンスタインは、なぜそこまで自分のテンポに固執するのか。それはまぎれもなく、解釈上でこのテンポが欲しいからである。該当の個所は、若Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。い男たちが乙女の群れのなかに突進して行き、彼女らを追いかけまわす、という場面。若者たちは、さかりのついた馬に喩えられるが、バーンスタインは、動物的な欲望に駆られる彼らを、嵐のようなテンポで描きたかったのである。自分の解釈とその実現を最優先するため、「歌えない」というような理由では譲らない。そもそもその言葉を信じていないし(むしろ彼女なら歌える、と思っている)、言外のダダコネも端から見抜いているので、自分のテンポを押し通すのだ。 これは純粋に力関係の問題、つまりパワーゲームである。ルートヴィヒは、もし無名の指揮者が相手 だったら、もっと露骨に「テンポを落して!」と要求したに違いない。逆にバーンスタインも、駆け出しの歌手が相手ならば、そんな注文には耳も貸さなかったはずだ。つまり、この奇妙な駆け引きは、両者が同格だったからこそ起こったのである。本番の映像では、ルートヴィヒは何とか歌いこなしているが、やはり緊張して、1節前から前のめりになっている。一方バーンスタインは、問題の個所が過ぎると、「できるじゃない。あんなに大騒ぎして!」と呆れ、天井を見上げる。両者は、マーラーで余人に代えがたい解釈を残した真の大家だが、それでもこんなバトルがあったのか、と思わずニンマリとさせられる。城所孝吉 No.59連載

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