eぶらあぼ 2021.6月号
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15 この6月の東京でのプログラムである最初の4曲と最後の3曲の組み合わせは象徴的。「起点は終点を内包する」という音楽の真理はベートーヴェンにも顕著で、「プログラミングに明確な意図を感じますが」と質問すると、バレンボイムは「まったく、その通りです」とうなずき、「初期と後期を比べた場合、大きな変貌を遂げたのは、急速楽章です。けれども初期ソナタの緩徐楽章には、後期のベートーヴェンの要素がすでに存在するのです。とりわけ今回取り上げる第4番の第2楽章(ラルゴ・コン・グラン・エスプレッシオーネ)に耳を傾けていただければ、後期に直結する世界を実感していただけるでしょう」と続けた。 4月12日に行われた共同記者会見では質問に答え、日本に持ち込む楽器「バレンボイム=マーネ・スタインウェイ」の構造を説明した。そもそも独自モデルを作りたいと思った動機は何だったのか? 「2011年のリスト生誕200年祭の折、イタリアのシエナでリスト自身が弾いたピアノに触れ、信じられないほど素晴らしい響きに驚きました。よく考えれば1875年頃までのピアノは弦を平行に張り、交差させたのは以後の展開です。交差により、音の明瞭度(トランスパレンシー)が失われました。私とマーネ氏はピリオド楽器ではなく、現代のスタインウェイで平行弦のみの楽器をつくってトランスパレンシーを回復しようと努め、達成したのです」 ピアニスト、指揮者の両輪で活躍し長きにわたりベートーヴェンと向き合ってきたマエストロ。「作曲家には生涯を通じて手がける、日記とも呼ぶべきジャンルがあります。モーツァルトならピアノ協奏曲、シューベルトなら歌曲…。ベートーヴェンはピアノ・ソナタと弦楽四重奏曲でしょう。私もピアノ・ソナタから多くを学び、それを交響曲の解釈に生かし、再びソナタへと還流する営みを繰り返し、神髄を極めてきました」と、音楽づくりの一端を明らかにした。私にとってベートーヴェンは作曲家の根源と言える存在なのです取材・文:池田卓夫 2021年6月、5年ぶりに来日、ベートーヴェンの最初4曲と最後3曲のピアノ・ソナタを演奏するダニエル・バレンボイム。ピアニスト単独では16年ぶりの公演に先立ち、ベルリンのバレンボイム・サイード・アカデミーと東京を結び、Zoomでの単独インタビューが実現した。 まずは、昨年(2020年)のベートーヴェン生誕250年を振り返って。新型コロナウイルス感染症の世界的拡大で多くのイベントが幻に終わったことについてバレンボイムは「私にとっては昨年に限らず、毎年がベートーヴェン・イヤーです」と笑った。「ベートーヴェンこそウアムジーク Urmusik=音楽の根源、ウアコンポニスト Urkomponist=作曲家の根源といえる存在、2020年は特別ではありません。ただただ酷い年だった! 時代精神を表すドイツ語はツァイトガイストですが、昨年の空白はツァイト・オーネ・ガイスト(精神なき時間)でした」 バレンボイムはコンサートのない空白の期間を逆手にとり、5度目とされるベートーヴェン「ピアノ・ソナタ全集」の録音を「ドイツ・グラモフォン(DG)」レーベルで完成させた。「皆さん5度目とされていますが、私のカウントでは旧EMIから数えオーディオ・ソフトが3回、ジャン=ピエール・ポネルを映像監督に迎えて以来ビデオ・ソフトが3回。今回のDGが6度目の全集となるのですよ」 今回の取材の前にDGの新全集を改めて聴き直してみた。ボックスにはボーナス盤2枚、「ウェストミンスター」レーベルで1958年3月、15歳4ヵ月で録音したソナタ6曲が含まれる。私が驚いたのは、年輪を重ねた熟成は別にして、バレンボイムのベートーヴェン解釈の原型がすでに確立され、今日まで一貫するアイデンティティを認知できる事実だ。「違いは最初が『若過ぎた』、最新が『年老い過ぎた』だけかもしれませんね」と、バレンボイムは笑った。 「演奏解釈の追求は永遠の営みであり、一人の人間が考え方や音楽の見方を変えていくのも自然なので、細かな違いはあって当然でしょう。多くの聴き手は音色、強弱、速度などの表面を語りがちですが、私はもっと『考え方』に耳を傾けていただきたいと願います。父にピアノを習っていた幼いころ『絶えず音楽の中で、音楽とともに考える習慣を身につけなさい』とたたき込まれました。今も弾くたび、何か新しいものを発見しようと試みる姿勢に変わりはありません」Prole1942年生まれ。7歳でピアニストとしてデビュー。その後ウィーン、ローマにデビューし国際的な評価を確立した。62年には指揮者としてもデビューし、シカゴ響やベルリン国立歌劇場の音楽監督などを歴任。バッハやベートーヴェンから現代音楽に至るまで、確信的かつ精緻な音楽表現で評価を得た。2020年12月にはドイツ・グラモフォン・レーベルよりベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音(6回目とされる)をリリースして注目を集めた。22年1月にはウィーン・フィルのニューイヤーコンサートへの出演も予定されている。

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