eぶらあぼ 2021.5月号
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104吉開の鈴木への腑分けぶりは容赦なく、恐怖や恥といった部分までえぐり出し、鈴木もアーティストとしてすべてを曝け出す覚悟を見せた。 映像の中で、鈴木は古いドラえもんのぬいぐるみへの愛着を語る。いわく新陳代謝により人間の身体は物質的には数ヵ月で完全に入れ替わってしまうが、ぬいぐるみは20年経ってもほぼ同一。鈴木の自我にとって、古いぬいぐるみは現在の自分の身体よりも物質的には「長く親しみのある存在」なのだ……。これは「テセウスの船のパラドックス」に似ている。ギリシャ神話の英雄テセウスが冒険で乗った船が、損傷部分の補修交換を繰り返していき、ついにすべての部品が入れ替わってしまったとき、それは今もテセウスの船だといえるのだろうか、という同一性のパラドックスだ。 そして3月16日、日本時間の23時から、センターでの有客公演が配信された。前半はヘマのソロ、後半で鈴木竜の約30分の映像を流す二部構成だ。ヘマは自分のダンスで使う映像と音楽を、鈴木の映像を作った吉開とタツキアマノに依頼した。そして自らのダンスで昨年亡くなった父親への思いまで感動的に描き出した。 タイトルは『—scape』。自分を構成する記憶や環境を「風景」として捉え、様々なフラグメントを送りあって共有する。インド公演は完売の盛況だったが、このプロジェクトは、いつか二人が同じ舞台の上でともに踊るまで続いていくのである。第79回 「ダンサーを『分解』してインドへ送るプロジェクト」 二年越しの国際プロジェクトが実現した。 コロナ禍以前、2020年1月に国際交流基金ニューデリー日本文化センターの石丸葵さんから相談を受けたのだ(ずいぶん遠い昔のようだな)。インドを代表するアタカラリ・センター(Attakkalari Centre for Movement Arts)との共同プロジェクトである。センターのあるバンガロールは「インドのシリコンバレー」と呼ばれるほどハイテク産業と先進的な文化で有名な都市だ。ディレクターのジャヤ(Jayachandran Palazhy)は海外のフェスで何度か会った程度だったが、2月の「国際舞台芸術ミーティング in 横浜」(TPAM)で来日した際にミーティングを重ねて、正式にスタートした。 当初は「日印の若手(振付家やダンサー、技術スタッフ)を選出し、10〜12人のカンパニーを組織してインドでの滞在制作およびセンター主催のフェスティバルをはじめ複数都市で公演を行う」予定だった。 オレとジャヤはプロジェクト・メンターとして、振付家&ダンサーに鈴木竜とヘマ(Hemabharathy Palani)を選出。その矢先にコロナ禍となり、プロジェクトは頓挫してしまう。 二人のデュオ作品として仕切り直すも、リモートでのクリエイションには悩まされた。ありきたりではつまらない。コロナ禍という百年に一度の厄災にアーティストがどう挑んだのか、百年後の人々に伝えようじゃないか。よくある映像書簡などではない「コロナ禍ならではの表現」を模索した。そして鈴木とヘマが出した答えは「鈴木竜というアーティストを分解し、インドに送り、再構築してヘマと踊る」というものだった。 面白い着眼点だ。生身の身体を切り刻んで送るのもアレなので、映像で分解することに。そこで自らもダンサーであり、ダンス映像作品も多く、カンヌ国際映画祭招待作家である吉開菜央に依頼した(米津玄師『Lemon』のMVで踊っている女性が吉開)。Proleのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com乗越たかお

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