110さらに加速するだろう。もはやガラパゴス化どころではなく、深海のシーラカンス並みに沈みつつある。 「でも実際に2000年代のピナ・バウシュやウィリアム・フォーサイスに匹敵する存在はいないだろう」というかもしれない。 しかし伝説的なスターが活躍する時代は、じつは評価軸が限定されがちで、そのあとの世代の方が真の多様性を持った豊かな時代になるものだ。野球でいえば1960〜70年代に「王貞治・長嶋茂雄を擁したジャイアンツが9年連続日本一になった時代」よりも、その後の世代の方が日本各地のチームが盛り上がり、観客数は何倍にも増えた。さらにはかつて夢のまた夢だった「本場アメリカの大リーグで活躍する選手」すら何人も出てくるようになっている。 現在のダンスは「20年前とは違う多様性と豊かさを持っている」というだけのことなのだ。これは単純に確率の問題だけど、「今の若いダンサーのすべてが駄目な確率」と「あなた一人の感性が死滅している確率」のどちらが高いか、考えてみるといい。 オレの言うアップデートとは、流行のスタイルや動きのことではない。ダンスとは何か、身体とは何か、絶えず進化する思考にコネクトし続けることだ。過去の基準にしがみついた思考停止は、停滞ではなく退化である。コロナ禍の今、最も踏ん張るべきポイントは、そこだ。研究者だけのことでは、もちろんない。第78回 「存在しない『黄金時代』を懐かしむ人々」 現役の舞踊研究者の話を聞いていて、そこまで年を取っているわけでもない人が「いやそれって20年前とか30年前のダンスのイメージだよね……」的な言説を滔々と述べているのを最近とみに耳にする。 古い価値観自体は悪くはないが、「今の若いダンサーはダメだ。昔はスゴカッタ」と言い出したりする「感性の老人」は、迷惑なことこの上ない。 しかもこれだけではなく、ちょっと気持ち悪い状況も生んでいるのだ。 昔のことなどまったく知らない若い世代のなかに、「感性の老人」の受け売りを始め「かつてのコンテンポラリー・ダンスの黄金時代に比べたら、今は全然じゃないですか」と言い出すおっちょこちょいが出てきているのだ。記憶を美化して創りだした「黄金時代」とやらを、見てもいないのに懐かしむというね……。「問題意識の高さを自認するけど自分の頭で考えないコバンザメタイプ」の奴に多い。 むろん素晴らしい研究者はいくらでもいる。だが得てして自分の関心領域以外には疎いのが研究者の常である。コロナ禍の前、オレは30年以上、多いときには年に10回以上海外のダンスフェスティバルなどを取材していたが、年上の舞踊研究者から「自分は研究者であってジャーナリストじゃないから海外に取材にいかないのだ」と謎のマウントを取られたことがある。オレは「評論家とは、研究者の知見とジャーナリストのフットワークを持っているべき」という信条なので、ああそれは楽な商売ですねえ、アップデートしなくていいんですもんねえと答えておいたけれども。 だがそれでも海外からの来日公演が山ほどあった時代は、日本にいながらある程度のアップデートはできた。しかしここ15年ほどは日本の文化的貧困化が進み、来日公演は激減している。それはコロナ禍で、Proleのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com乗越たかお
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