99ロマン派シューマンが女性に抱いた幻想と現実 シューマンの「女の愛と生涯」。実を言うと筆者は、この歌曲集が少し苦手である。音楽は素晴らしいけれど、作者たちが「自分の妻はこうあって欲しい」という願望のもとに作ったために、現実の女性から乖離しているように思われるのである。「あの方に出会った時から、私は盲目になったような気がする」と始まる第1曲からして、女性は男性の周りをまわる衛星、といった世界観。最後の曲で夫が急死すると、主人公は「世界は空虚になった」と嘆く。つまり、彼がいなくなるとともに、自分の存在意義もなくなるという意味だ。詩人シャミッソーは、38歳で19歳年下の女性と結婚し、後年この詩を書いたが、シューマンも9歳年下のクラーラと挙式する直前に、作品を完成させた。彼女に「お前もこうなるべきだ」と宣告しているわけだが、さだまさしの「関白宣言」のようなチャーミングさに欠けるし、そもそも後味が悪い。 しかし実際には、彼らの結婚はどうだったろうか。10代でスター・ピアニストになり、ヨーロッパ中をツアーして回ったクラーラは、ローベルトよりもはるかに有名だった。最初の数年こそ彼に遠慮して、演奏活動を制限していたが(こんな作品を突き付けられたのだから、そうせざるを得ないだろう)、音楽評論家の夫の稼ぎが悪いために、ピアニストとして「復職」し始める。作曲家としてのローベルトは、メンデルスゾーンやリストには認められていたが、それは彼ら自身が天才で、見る目があったから。一般には、クラーラの方が存在感があったし、家計も支えた。一緒にツアーに出れば、シューマンは「クラーラの旦那さん」と見なされ、屈辱的な思いをしたという。つまり現実には、彼の方が衛星で、彼女の方が太陽だったProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。のである。もちろん作曲家シューマンは、1840年代後半から少しずつ知られるようになり、後には妻よりも有名になるが、少なくとも生前においては、力関係は逆だった。 筆者がよく考えるのは、結婚後のシューマンは、「女の愛と生涯」について、どう感じていたのか、ということである。彼は、クラーラとこの曲を比べて、「当てが外れた」と思ったのだろうか。あるいは、結婚自体を後悔したのだろうか。少なくとも彼女は、彼が亡くなった後も、その作品の普及に努め、再婚することもなく「ローベルト・シューマンの妻」として生涯を全うする。クラーラは、彼が没してようやく、彼が望む女性になったのかもしれない。 この曲の録音中で特にユニークなのは、往年の名メゾ、ブリギッテ・ファスベンダーのそれである(ドイツ・グラモフォン/1984年)。彼女の歌いぶりは、低めの声のせいか、ソプラノの歌唱より落ち着き、リアリティがある。「私は彼に仕え、彼のために生き、完全に彼のものになりたい」といった歌詞でさえ、盲目な従順ではなく、真摯な誓いと聞こえる。それによって、作品が内包する女性への幻想を、我々が共感できる地点にまで戻し得ているように思われる。城所孝吉 No.57連載
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