91ご当地言語で広まったオペラの名作 筆者の自宅には、イタリア語の《ローエングリン》のヴォーカル・スコアがある。原語歌詞と伊語が併記されているものではなく、訳詞しか載っていないタイプ。1927年に出版されたA. Barion社の版で、何年か前に古書店で譲ってもらった。訳者(サルヴァトーレ・マルケージ)の名前は書いてあるものの、ピアノ版編曲者の名前はなし。リコルディ版(1887/88年)の訳もマルケージなので、これはそのライセンス版だと思われる。 オペラは原語で上演されるもの、と思っている我々には奇妙な代物だが、実はこうした楽譜は、ヨーロッパの古本屋にはゴロゴロしている。ウィーン国立歌劇場では、戦後にカラヤンがシェフになるまでは、イタリア・オペラは独語上演が多かったし、松本美和子さんは、70年代にカールスルーエで《シモン・ボッカネグラ》をドイツ語で歌ったという。つまりそういうご当地言語の楽譜が、実際に必要とされていたのだった。レコードの世界でも、エレクトローラ(独EMI)やドイツ・グラモフォンは、70年代に至るまで、ドイツ語版の《ドン・ジョヴァンニ》や《カルメン》のハイライト盤を作り続けた。時には全曲盤さえ発売されたが、ドイツ語による最後のイタオペ全曲盤は、85年のポップ&アライサ主演の《ボエーム》だったと記憶する(エレクトローラ)。 現在、最も簡単に手に入るドイツ語のイタリア・オペラの楽譜は、プッチーニである。《ボエーム》の成功後、彼はドイツ語圏でもスターとなり、上演が急増。版権を所有していたリコルディは、1901年に収入管理用の支社をミュンヘンに設立した。市場の要求に応えようと、ドイツ語のヴォーカル・スコアも販売したが、今容易に手に入るということは、当時よほど流布していたのだろう。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。 興味深いのは、ワーグナーの楽譜が、逆にイタリアにおいて伊語で出版された、ということである。《ローエングリン》の同国初演は、1871年、ボローニャにおいて。スカラ座では、その2年後にプレミエを迎えたが、ミラノでは今日までに、21シーズン・計約180回上演されているという。原語で歌われたのは1953年が最初だが(指揮はカラヤン、主演はヴィントガッセンとシュヴァルツコップ)、デル・モナコが題名役を歌った57年の公演では、何と伊語に戻っている。 その際、「1873年から1945年までに15シーズンで上演された」という統計は、多いと言うべきなのか少ないと言うべきなのか。間違いないのは、歌手や練習コーチのためにイタリア語版を出したわけではない、ということである。楽譜が担った役割は、むしろ別だった。当時はイタリアでも、希代の芸術家ワーグナーに対する関心はきわめて高かった。ヴェルディ邸(サンターガタ)の蔵書を見ると、ヴェルディがワーグナーのヴォーカル・スコアをすべて所有していたことが分かる。レコードがなかった時代、ある作曲家の作品を知る手がかりとなったのは、まぎれもなく楽譜だった。当たり前と言えば当たり前だが、当時の人々は、実際の上演よりもまず楽譜を試弾して、ワーグナーの音楽を知ったのである。城所孝吉 No.56連載
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