eぶらあぼ 2021.2月号
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101ベートーヴェンの「財テク」 ベートーヴェンには、生涯にわたってお金に困ったというイメージがある。彼自身、自分は貧しいと思っていたし、晩年には深刻な金欠問題にも悩んでいる(ロッシーニがベートーヴェンを訪ねた時に、あまりの赤貧ぶりに泣いた、という伝説があるほどだ)。しかしフリーランスの芸術家としては、彼は間違いなくトップクラスの収入を得ており、ピアニストとしてのギャラ、作曲料も高額。貴族に作品を献呈すれば、莫大な見返りを得ていた。そして亡くなった時には、10,000グルデンという結構な遺産を残している。これは今日のお金に換算すると、約1,900万円! しかもその3分の2は、1816年に設立されたオーストリア国立銀行の株式だったというから、驚く。 なぜ彼が、当時最新の投資形式だった株を購入したのかというと、その前にお金で失敗していたからである。1808年、ベートーヴェンはカッセルの宮廷から定職をオファーされるが、彼にウィーンを離れられては困ると慌てた貴族たちが、引き留め料=年金を支払うことになった。年間4,000グルデンという高額である。しかし1811年、オーストリアがナポレオン戦争の経費を支払うために紙幣を大量に発行したことにより、劇的なインフレが発生。せっかくもらった年金は、ほとんど価値のないものになってしまった。 ベートーヴェンは、甥カールに財産を残すことが後見人の務めだと感じていた。それゆえより確実にお金を残すことができ、また増やせる方法を探していた。投資を勧めたのは、彼のお金周りの世話をしていた銀行員の友人だが、(中央紙幣銀行とはいえ)株式が定着していなかった時代に財テクの手段に用いることには、勇気が要っただろう。しかし彼は、ウィーン会議関連(1815年)で稼いだギャラを中Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。心に、4,000グルデンという大金を8本の株式に投資する。 その際最大の動因となったのは、利息が大きかったことであるに違いない。毎年約400グルデンの利息・配当金が見込めたが、これは当時の上級役人の年収に相当する。一方、株価そのものも上昇し、発行から6年後には倍の値段となっていた。結果的に彼が死んだ時には、株全体は(一部売却していたにもかかわらず)7,500グルデンの価値を持つに至った。商売が下手だったわけではないベートーヴェンだが、この時ばかりは「鼻が利いた」と言えるだろう。 興味深いのは、彼が死の3日前に遺書を書き換えて、「カール自身は利息・配当金のみを、株式自体はその子どもが受け取る」としたことである。これによりベートーヴェンは、甥が株を売却したり、母親の負債を支払うために使ったりすることを阻止したのだった。現在オーストリア国立銀行には、没した時点であった7本の株式のうちの4本が実存しているという。それは1850年代から60年代にかけてカールの子息等に渡っているが、最終的には彼らの懐事情により、自分から国立銀行に戻ってきた。「金は天下の回りもの」とは、まさにこのことである。城所孝吉 No.55連載

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