eぶらあぼ 2021.1月号
22/169

19幸運に導いた運命の役ロドルフォと再び向かい合う取材・文:岸 純信(オペラ研究家) 写真:武藤 章楽典も分からないわけですよ。なら、どうやって音大を受けようかと調べてみたら、名古屋芸術大学の推薦の募集要項に『実技と面接のみ』と書いてあったので名古屋に直行しました(笑)。無事入学し、中島門下に入りました。先生ご自身が『笛田君を指導してみたい』と仰ったそうです。有難かったです」 《カルメン》のホセ、《イル・トロヴァトーレ》のマンリーコなど熱血漢の役が多い笛田。《ノルマ》で共演した大ソプラノ、マリエッラ・デヴィーアにも教わるところが多かったという。 「デヴィーアさんは、一口で言って『無理がない』方。身体全体が筒と化し、スムーズに声を吹き上げるイメージで、背面の空間も使って声を響かせます。だから劇場の隅々まで同じように声が届く。テノールではジュゼッペ・ジャコミーニさんが大好きですが、彼の発声法もデヴィーアさんに似ていますね」 その二人に共通するのはまさに豊かで柔らかく麗しい響き。先述の通り、笛田にも共通する声の個性である。 「有難うございます…《ラ・ボエーム》のロドルフォは出ずっぱりの役ですが、ハッピーな前半とは違い、第3幕ではミミとの別れがあり、人生に翳が忍び寄ります。プッチーニはヴェリズモの時代の人だけに、油断すると激情的な歌い方へと引っ張られるような曲作りをしていますね。でも、そうした烈しいパッセージでも、やはり、デヴィーアやジャコミーニのように、ベルカントの歌のテクニックを根底で保ったまま歌うべきだと思うのです…コロナの脅威はなかなか収まりませんが、様々な対策のもとに公演が行われるはずですので、13年ぶりの僕のロドルフォを聴いていただければ幸いです。生の歌声で、オペラにぜひ浸ってみてください!」 「太くて豊か、しかも柔らかい」のがテノール笛田博昭の声の美質である。いつ聴いても、彼の歌は、客席を大らかに包みこむものなのだ。2007年藤原歌劇団の《ラ・ボエーム》で突如オペラ界に現れてから13年。21年1月末には、同オペラの青年ロドルフォ役に再び挑むとのこと。抱負を聞いた。 「2007年はまだ名古屋にいました。詩人ロドルフォと同じく懐は豊かではなく、アルバイトをしながら歌っていたのですが、ある日藤原歌劇団から突然電話があり、『一度、声を聴かせてほしい』と頼まれました。当時、あまり行っていなかった公募によるキャストオーディションをするということで、僕にもお声がけいただいたと聞きました」 なるほど。天下の藤原歌劇団から電話が入ったとなれば、急いで上京という運びに? 「それが…お断りしたんです。藤原歌劇団の名前も知っているかどうか怪しい自分で。ハハハ(笑)。しかし、数週間後に再び、『とにかく、一度聴かせてください』と電話がありました。それで名古屋芸術大学の恩師、中島基晴先生に相談の上で、オーディションを受けて合格し、藤原歌劇団の初舞台を踏みました。決まってからは本当に必死でしたね。当時はイタリア留学も未経験でしたし、主役デビューという重圧も凄かったんですよ」 柔和な響きで淡々と語る笛田。大柄な体格からくる豪放磊落なイメージと、内省的な心模様が、言葉に面白く絡み合う。 「新潟県の越後湯沢の出身です。両親はスキー場内で食堂やペンションを経営していまして、自分も子どもの頃からスポーツに専念し、音楽にはあまり関係ない日々でした。しかし、歌うと声は大きかったんです。学校の合唱祭でも『博ちゃんの声、よく聴こえたわ!』とご近所から言われましたね。その後、高校の音楽の授業で三大テノールの映像を観て、パヴァロッティが歌う〈誰も寝てはならぬ〉にびっくりし、その歌真似をするようになりました。すると、担任の先生から『歌が得意なんだから、コンクールを受けてみたらどうか?』と勧められ、三年生の時に新潟日報主催の音楽コンクールに出たら高校生の部で優勝しました」 天与の声の力――それがまさしく、正しく働いた。 「当時はピアノも弾けず、ソルフェージュもできず、Prole名古屋芸術大学卒業。同大学院終了後、イタリアへ渡り、留学中にコンクールで優勝。フェッラーラ歌劇場で《イル・トロヴァトーレ》マンリーコ役でイタリア・デビューを果たした他、イタリアをはじめ国外において多数のオペラやコンサートに出演。帰国後は、《蝶々夫人》ピンカートン、《トスカ》カヴァラドッシ、《カルメン》ドン・ホセ、《ノルマ》ポッリオーネ、《道化師》カニオ、《椿姫》アルフレードなど、藤原歌劇団公演をはじめとし、プリモ・テノールとして数多くの公演に参加し、常に好評を博している。藤原歌劇団団員。

元のページ  ../index.html#22

このブックを見る