105ドイツ人にとってお墓はどんな場所? カトリック教会では、11月には万霊節といって亡くなった人々に想いを馳せる日がある。いわば「お盆」。わが国では夏に行われるが、キリスト教圏では晩秋であるところが面白い。これはおそらく、自然において生命の力が衰退し、灰色の冬が始まることから来ている。日本ではお墓参りというと、特に思い入れがある場合を除いては率先して行うものではないと思うが(?)、そんな筆者でも、ドイツやヨーロッパ諸国でのお墓参りは大好きである。イタリアやオーストリアに行った際には、旅行の「目的地」にしてしまうほどだ。 なぜかと言うと、大都市の場合、有名人の墓所がたくさんあるからである。ベルリンにも、複数の墓地に、名の知られた作曲家や音楽家の「安息の地」がある。最初に挙げるべきは、言うまでもなくメンデルスゾーンである。彼は活躍の地はライプツィヒが中心だったが、元々はベルリンの名家の出なので、お墓はこちら(三位一体教会墓地。お隣は姉のファニー・ヘンゼル)。そのほど近くには、オペラ《ホフマン物語》で名高いE.T.A.ホフマン。シューマンの歌曲集「女の愛と生涯」の詩人アーデルベルト・フォン・シャミッソーも眠っている。演奏家の筆頭は、フィッシャー=ディースカウだろうか(ヘーア通り墓地)。マレーネ・ディートリヒ(シェーネベルク第3墓地)についても言えるが、意外に質素でフツーの墓石で、拍子抜けする。作曲家では他にブゾーニ、フンパーディンク等もあるものの、一線級は割と少ない。カラヤンもフルトヴェングラーも、お墓はベルリンではないが、これはどうしてなのだろうか。 セレブ目当てとは言うものの、散歩がてらに訪れProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。たくなるのは、実は雰囲気がいいからである。ドイツ語では墓地はFriedhofと言うが、これは文字通り「平安の庭」という意味。子どもの頃には、お墓に供物を置きに行かされるとお化けが出そうで怖かったが、ドイツの墓地に薄気味悪さはなく、むしろ心が休まる場所のことが多い。枯葉が散った秋の昼下がりに赴くと、心の澱が洗い流されるような気分になる。その風情は、憂愁の美を湛えたブラームスの歌曲のよう…。 それにしても、この違いはなぜなのか。それはおそらく、キリスト教で「肉体は滅びるが、魂は滅びない」という考え方があるからだろう。魂の問題なので、お墓はある意味で「天国に上った人々のヌケガラが眠る場所」に過ぎない(お化けとしても、あえて墓地で出る必要性はないということか)。オケ団員の友人が、マレーネの眠る霊園をベランダから見渡せる場所にマンションを買ったが、「お墓の前なのにいいの?」と聞いたら、質問の意味が分からない、という顔をされた。ヨーロッパ人にとっては、おそらくそういうもの。お墓はむしろ、静寂さに満ちたスピリチュアルな場所なのである。城所孝吉 No.54連載
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