eぶらあぼ 2020.11月号
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116オペラ字幕についてのモノローグ 今はあまりやらなくなったが、昔はオペラや声楽曲の字幕をかなりの量手がけていた。これは特殊な技能で、商業的なレベルでマスターしている人は非常に少ない。よく知られているのは、1秒間に4文字しか使ってはいけないという大原則。これは、本当に高いハードルだと思う。モーツァルトのレチタティーヴォ、ワーグナーやR.シュトラウスのダイアローグでは、字幕1コマ(業界用語ではハコという)が2秒に満たないということも多い。つまり、言われていることを8文字以内で表現しなければならないのである。そのまま訳していては入らないので、「内容を一度呑み込んで、同じ意味で簡潔な言い方にして吐き出す」というような作業をする。言わばブラックボックスだが、字面に拘っていては到底できない。 難易度は、時代や台本作者によっても差があり、例えば《フィデリオ》や《ウィンザーの陽気な女房たち》は、相当に難しい。19世紀ドイツの書き手は、こねくり回した言いまわしを好んだため、装飾的要素が多いのである。言葉数そのものが多いのはR.シュトラウスのオペラだが、《ばらの騎士》第2幕や《サロメ》の一部はともかく、意外にすんなりと訳せる。ホフマンスタールの歌詞が、努めて口語的でシンプルなためだろう。これに対し、ゴテゴテとした文語で、短いフレーズに色々と入っているのはワーグナー。一度《マイスタージンガー》を依頼されたが、とてもできそうになくて断ったことがある。オペラの字幕では、おそらくワーグナーが一番難しい。 総じて重要なのは、作品をよく知っていること。セリフの重要なポイントが分かっていれば、それ以外の要素を切り捨てたり、バランスよく要約することProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。ができる。「観る人に分かって欲しいこと」にフォーカスし、そこを外さないように配分するわけである。もっとも、これによって副次的な意味が脱落することも。一度、映画の字幕(パーシー&フェリックス・アドロン監督『マーラー 君に捧げるアダージョ』)を担当したことがあるが、映画字幕の専門家にチェックしてもらったところ、「一瞬見て分からない」という理由で「不要な要素」をバッサリと切られてしまった。映画の字幕で訳出されているのは、全体の70パーセントくらいかもしれない。セリフの比重が高い映画の場合、複線や暗示が抜け落ちてしまう可能性もあり、訳者の責任は大きい。 もうひとつ大事なのは、「色を付けてはいけない」ということ。女性のセリフに女性的語尾を付ける等の処理をする訳者がいるが、これは字幕として見ると結構しつこいし、感情表現を含むので、音楽の邪魔になることがある。できるだけニュートラルに、観る人が字幕を読んでいることを忘れるくらいの簡潔さで訳すのが、ポイント。「読む側の気持ちになって」というのは、書く仕事の原則だが、翻訳や字幕の場合は特に当てはまると思う。城所孝吉 No.52連載

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