eぶらあぼ 2020.10月号
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120 見ている方にとって「生配信」だと言われて「録画配信」を流されても、確かめる手段はない。ならば全部録画配信でもいいかというと、そうでもない。何が違うのだろうか。 以前、飴屋法水というアーティストが「最低限の水と食料だけで180cm四方の真っ暗な箱の中に24日間籠もる」というパフォーマンスをしたことがある(2005年『バ ング ント』展)。このとき不思議な感覚を味わった。展示会場に行っても箱があるだけで、中にいる飴屋の様子がわかるわけではない。しかしなにかの拍子に「飴屋はいまも箱の中にいるんだな」と思うと、暗闇の中にいる飴屋の存在が不意にリアルに感じられてしまったのである。 「生配信」と「録画配信」もおそらくそうした違いがある。配信とは、生身の身体の映像がデータに変換されて送られ、各人のモニター上に再現されたものにすぎない。しかし「いま同じ時間を共有している実感」を伴うとき、人はそこに特殊なリアリティを持つのだ。映像データは「現在のパフォーマーの身体の拡張」として観客の胸に「繋がった、リンクした」という感覚をもって届くのである。そこは発信側にとっても肝になってくるだろう。 ただこれが進むと、生の舞台の観劇が、さらに高尚で高価な趣味のようになってしまうかもしれないのだがね……。第72回 「『公演×配信』を生き残るために」 コロナ禍を生き残るため、舞台芸術の「公演× 配信」という形は増えていくだろう。現状(9月上旬現在)の舞台公演では最大50%しか客を入れられない=十分なチケット収入を望めない以上、公演と同時に有料でライブ配信をしようというものだ。 じつは海外ではずいぶん前から活発に行われている。英国ロイヤル・オペラ・ハウス(ROH)などが有名だが、オペラやバレエの公演を世界同時配信するのである。基本的に音響がしっかりした巨大画面の映画館で行われるので、迫力もかなりのものだ。 幕間になるとカメラが舞台袖まで入って演出家にインタビューしたり、その後ろを出演者がスタスタ歩いて行ったりと、ひと昔前なら絶対に許されなかったようなオマケも豊富である。事前に用意された「じっくり聞き込んで編集されたインタビュー映像等」も随時差し込んでくるなど多角的に楽しめる。ある意味、客席よりも配信の方が多くの情報を得られるよう工夫されている。 もちろん映像はその後も繰り返し上映され収益をあげる。日本でも「ライブ・ビューイング」等の呼称で今では一定の認知を得ており、コロナ禍でさらに広がるだろう。 ただこのクオリティで配信するには膨大な手間とスタッフと予算が必要だ。ROHは「地球の裏側まで多くの国に視聴者がいる」「バレエやオペラという国を超えて通用するキラーコンテンツを持っている」というアドバンテージがこれを可能にしているのだ。 日本国内でも大劇場をはじめ観客動員力のある劇団やダンスカンパニーが「公演×配信」に挑戦しているが、損益分岐点の見極めはシビアなものになるだろう。しかしいまのところ打てる手はそれくらいしかないのも事実だ。 さて、そこで問題になるのが、以前も書いた「生配信」と「録画配信」の違いである。Proleのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com乗越たかお

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