eぶらあぼ 2020.10月号
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117「コンセプト・アルバム」は難しい?! 先月に続き歌曲の話題で申し訳ないが、最近“リサイタルCD”で気になっていることがある。選曲が、目に見えてコンセプト化してきているのである。昔は「詩人の恋」がメインならば、後はシューマンのほかの歌曲か、もうひとりの作曲家の作品に限り、すっきりと統一を図ったものだった。稀に「ユーゲントシュティル歌曲集」など、特定のテーマのもとに4、5人の作曲家を集めたものがあったが、これはシュレーカーやシェーンベルクの歌曲で1枚作ることが難しかったから。通常はふたり、百歩譲って3人にとどめる、というのが定石だったと思う。 ところが最近では、全20曲で15人の作曲家の作品を網羅する、というようなものが増えている。アンナ・プロハスカの『失楽園』、ベンヤミン・アップルの『魂の故郷』、マルリス・ペーターゼンの『ディメンジョンズ~内的世界』、キャロリン・サンプソンの『狂気のなかの正気』などなど。タイトルからも明らかな通り、特定のイメージのもとに歌の花束を編む、といった趣向で、例えばプロハスカは、アダムとイヴの失楽園の物語を、女性原理、エロティシズム、罪の意識、弱い男のコンプレックスといったイメージ(歌詞や曲想がそれを連想させる作品)で提示している。フォーレ〈楽園〉(「イヴの歌」より)、ブラームス〈火蜥蜴〉、パーセル〈眠れ、アダムよ、眠れ〉、クラム〈風のエレジー〉と様式的にも様々で、ぱっと見ると雑然とした感じ。しかし音楽的にはよく考えられていて、違和感はない。 彼ら(明らかにソプラノが多いので、彼女らと呼ぶべきか)がこうしたプログラムを組むのは、コンセプト作りや演奏がクリエイティブだからである。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。特定の音楽的ストーリーを自分で組み立て、ひと晩のリサイタルやCDで物語るわけで、独自の音楽世界を作り上げることができる。違うコンテクストで、曲に新しい光を当てられる、という側面もあるだろう。実際聴いていて面白いし、とても新鮮。これまで知らなかった作品に出合うことも多くある。アーティストの思い入れやメッセージが伝わってくることに、強い印象を受ける聴き手もいるだろう。 ただ、そこが問題でもある。作曲家・作品よりも演奏者に比重が掛かり、そちら主体になっているように感じられるのだ。歌手としては、色々な曲を集めて「こんなに素晴らしいものもあるのよ!」と紹介しているのだが、聴き手にとっては、全体のイメージの方が強く、曲はそのコンテクストに従属した印象になる。普通は、特定の曲が聴きたくてCDを手に取るのに、作曲家・作品で選べないために、かえって聴かなくなってしまうのである。というわけで、なかなか難しい。筆者としては、彼らが考えたコンセプトよりも、プロハスカやサンプソンがシューマンをどう解釈するのか、ということの方に、ずっと興味があるのだが…。城所孝吉 No.51連載

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