eぶらあぼ 2020.08月号
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81懐かしの「私のスカラ座デビュー」 この9月には、ミラノ・スカラ座の来日公演が予定されていた。新型コロナウイルスの影響でキャンセルになってしまったが、筆者がこの劇場で初めて観たオペラは、今回予定されていたリリアーナ・カヴァーニ演出の《椿姫》だった。忘れもしない、1992年3月29日のことである。指揮は、当時の音楽監督ムーティ。アウクスブルクに留学していた筆者は、ブレンナー峠経由の夜行列車に乗り、翌朝早くにミラノ中央駅に到着した。 スカラ座には立ち見席があると聞いていたので、その足でまず劇場に向かったが、すでに何人かが並んでいた。この劇場では、立ち見と言っても席自体はあり(視界に限りがある)、数も100以上である。ボーッとしていると、「名前を入れるリストがある。それを元にして点呼があるので、毎回必ず来るように」と言われた。点呼は、2回ぐらいだったろうか。管理をしているのは、ジャンニというオジサンで、カルロッタという雑種の雌犬を連れていた。後で聞くと、彼はダフ屋の元締めとのこと(真偽のほどは不明。ダフ屋と券売所がグルになっているところがイタリア的?)。呼び出されるのを待っていると、小柄な年配の女性が楽しげに談笑しているのを見かけた。それは、1955年のカラスの《椿姫》でアンニーナを歌ったルイーザ・マンデッリであった。 点呼の合間に、拙いイタリア語で電話(公衆電話。ジェットーネという特殊なコインしか受け付けない)を掛けて安宿を見つけ、シャワーを浴び、17時の点呼にバック。そのまま券売所に並び、開場とともに切符を購入した。しかし切符を手にした瞬間から、皆が天井桟敷専用の階段(つまり貧しい人々の入口。階級社会の名残である)を物凄い勢いで駆け上がってゆく。シートには番号がないので、見やすい席は早い者勝ちなのだ。筆者は比較的前に並んでいたため、舞台に近い、良い席を手に入れることができた。しかし、この段階でどっと疲労困憊。ドイツProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。から夜行で来て一日待ち、20時開演のオペラを見るのだから当たり前である。 しかし…上演は素晴らしかった。ムーティの解釈は、言葉の裏の意味や、劇的な状況を照らし出すもので、テンポも独創的。〈花から花へ〉など恐ろしく速かったが、ヴィオレッタが(娼婦にとってご法度である)真の愛の芽生えを振り切ろうとする思いが伝わってきた。圧巻は、アルフレードに別れを告げる場面。金管がグワーンと強調され、弦のトレモロが激しく波打ったが、筆者はこの時、万感の思いを込めた旋律(「アルフレード、私を愛してね」)が前奏曲でも使われている意味を初めて理解した。まだ無名のアラーニャ(アルフレード)も素晴らしかったが、題名役のティツィアーナ・ファッブリチーニが体当たりの演技・歌唱で、感動的だった。それ以来、(カラスと同様にトスカとルチアの両方を歌い、10年で声を失った)彼女のことが忘れられず、今でも時々ネットで調べている。 この“スカラ座デビュー”に味をしめて、同じシーズンにはムーティ指揮で《湖上の美人》、《ドン・カルロ》(パヴァロッティのスカラ座最後の舞台)、《ドン・ジョヴァンニ》(フレミングのスカラ・デビュー!)、《道化師》を観たが、なぜかそれ以降はあまりご縁がない。最後に観たのは、2010年の《リゴレット》だったが、立ち見席やジャンニはまだ健在なのだろうか。城所孝吉 No.49連載

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