eぶらあぼ 2020.3月号
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35チャイコフスキーの人生の変遷と音楽の進化を伝えたい取材・文:柴田克彦 写真:野口 博み、心のせめぎ合いが曲を作っています。それが4番になった途端に違う世界へ行く。何かがあって3番が生まれ、4番が生まれた。その“何か”が皆様の心に、例えて言えば、“ダ・ヴィンチ・コード”のようなインパクトをもたらすのではないかと思います」 後半の4、5、6番は「ベートーヴェンでいえば『運命』や『第九』が3曲続くくらい、すべてが光を放っている」と語る。しかし「チャイコフスキーの作品の中で今一番好きなのは『マンフレッド交響曲』」だという。 「『マンフレッド』は渾身の傑作だと思います。ここではチャイコフスキーの生き様がマンフレッドに託されています。各楽章に独特のイメージを与えることによって自分自身を見据えようとするのですが、最後はちょっと視点が合わなくなっていると感じます。そうした精神の錯誤が逆にこの曲の魅力でもあります。私は『マンフレッド』に4、5、6番を超えた交響曲“第7番”として生き残ってほしいと願っています。そのためこの曲だけは、わずかですが部分的なカットや楽器の追加など一部に手を加えさせていただいています。そうしないと生きる術を失うかもしれないと思うのです」 今回のチクルス(東京)は日本フィルが演奏し、ピアノ協奏曲では上原彩子、ヴァイオリン協奏曲では神尾真由子がソロを務める。 「日本フィルとはもう50年近い付き合い。聴衆に向けたひたむきな姿勢を尊敬していますので、こうしたチクルスをご一緒できるのは大きな喜びです。ソリストはチャイコフスキー・コンクール優勝のお二人。どちらも早くから知っていますが、優勝後さらに素晴らしい演奏家になられています。チャイコフスキーの協奏曲は、ソリストによって全く違う世界を作れますから今回も楽しみです」 80歳を迎えて「一段ずつ階段を登ってきた」ことを実感し、「あと少しだけ上に登ってみようと思う」と語るマエストロ。長い階段を登ってきた今だからこそ生み出せるその音楽を、我々もじっくりと享受したい。 “炎のマエストロ”コバケンこと小林研一郎は、今年4月に80歳を迎える。円熟を極めたマエストロの傘寿を記念して行われるのが「チャイコフスキー交響曲全曲チクルス」。全交響曲に協奏曲等を加えた5日間の公演で完遂する意欲的な企画だ(他に名古屋、大阪公演あり)。 十八番のチャイコフスキーを無数に演奏してきたコバケンだが、「ライヴでの集中的なチクルスは今回が初めて」とのこと。その発端は、大晦日に行っている「ベートーヴェンは凄い! 全交響曲連続演奏会」にあるという。 「同公演を通じて、様々な経験を反映したベートーヴェンの人生観を、音符が如実に物語っていることがわかってきました。ならばチャイコフスキーの慟哭や悲しみ、メック夫人の支援による音楽の変化、その後の高いレベルでのもがきなども聴衆に伝えたい。でもこれはベートーヴェンと同じく交響曲を一遍に聴いてこそ解かります。そこで80歳の記念に全曲チクルスを行うことにしました」 マエストロにとってチャイコフスキーの魅力は果てしない。 「チャイコフスキーのいつも失望しているようなモティーフが訴えかけるものは、僕にとって特別です。僕はペシミスティックな音楽や、暗く沈んで究極の苦しみや嘆きを吐露してくれる作曲家が好きなんです。チャイコフスキーの曲は、よく言われるセンチメンタルではなく、内向的な苦しみの世界。そこにオーケストレーションと旋律の使い方の巧さが溶け合って音楽が進み、到達する世界は我々が届かないほどの高みにあります」 本チクルスは、1番と4番、2番と5番、3番と6番といった組み合わせがなされている。 「1回しかおいでになれない方にも、1〜3番から4〜6番の間にどれだけ大きな世界へ羽ばたいたかを聴いていただくために、こうした組み合わせにしました。チャイコフスキーは4番を書く前にメック夫人からの支援が決まり、教師を辞めて音楽だけに没頭できるようになりました。したがって4番とそれ以前とでは心の燃え盛り方が全然違います。その結果、達成されたこの作曲家の可能性の凄さにぜひ心を傾けてほしいと思います」 前半3曲の中では3番に惹かれると話す。 「3番は、閉ざされた世界と、それをいかに明るくするかという2つのテーマがぶつかり合いながら進Proleこれまでにハンガリー国立フィル、チェコ・フィル、アーネム・フィルをはじめ、日本フィル、読売日響など国内外の名立たるオーケストラと数多く共演。ハンガリー政府よりリスト記念勲章、ハンガリー文化勲章、星付中十字勲章、ハンガリー文化大使の称号を、国内では文化庁長官表彰、旭日中綬章を授与された。現在、日本フィル桂冠名誉指揮者、ハンガリー国立フィル桂冠指揮者、東京藝術大学名誉教授、東京文化会館音楽監督などを務める。

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