eぶらあぼ 2020.3月号
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182シュトラウスが〈あした!〉に書き込んだ裏の意味 リヒャルト・シュトラウスの歌曲の傑作と言えば、〈あした!〉である。「明日の朝には、再び陽が差す。私が行く道の上で、陽の光は、幸福な私たちを再びひとつにする。太陽を呼吸する大地のただなかで。私たちは、水平線が広がる砂浜へと降りて行き、そこで無言でお互いの目を見つめる。そして幸福のあまり、言葉を失う」。ジョン・ヘンリー・マッケイの詩によるこの曲は、元々はピアノ伴奏だが、シュトラウス自身が管弦楽版を書いており、むしろその方が有名である。ヴァイオリン独奏が、朝露で濡れた自然の光景を暗示して、情緒満点だ。 以前筆者は、この曲は恋人たちのロマンティックなララバイだと思っていた(多くの人が、そう思っているだろう)。しかしこの考えは、20年ほど前、最晩年のハンス・ホッターのマスター・クラスを聴いて一変した。彼は、ベルリンのハンス・アイスラー音楽大学で公開授業を行ったが、そこでソプラノの学生が〈あした!〉を歌ったのである。その際、彼女は単に音を歌っているだけで、歌詞の意味を理解しているとは思えなかった。演奏後、ホッターは一瞬途方に暮れていたが、やがて気を取り直して言った。「普通こういう状況になった場合、最初に歩み寄るのは女性の方だよね…」 筆者を含め、その場に居た人々は皆、彼が言うことが分からず、きょとんとしていた。するとホッターは続けた。「これは、恋人同士が喧嘩して落ち込んでいる歌なんだよ。悲しくなったので、“明日はまた陽が差すよ、仲直りできるよ”とお互いを慰めているんだ。だからあなたも、それを意識して歌いなさい」 筆者は一瞬、目が点になった。「この美しい歌が、そんな卑近な意味なの〜?!」。しかし言われてみProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。れば、確かにそう取れる。一般にドイツ人は、落胆している人を慰めて、「明日は何とかなるよ」という言い方をする。また、「陽の光は、私たちを再びひとつにする(wieder einen)」という歌詞は、間違いなく「私たちを仲直りさせる」と読める。実際シュトラウスは、ここで同じ旋律を声とピアノでずらして登場させ、次の小節で再び縦線が揃うように作曲している。つまりまず「意見の不一致」があり、それが「再び一致」するように書かれているのだ。 そもそもこの曲は、シュトラウスが1894年にソプラノ歌手パウリーネ・デ・アナと結婚した時に、彼女に贈ったものである。パウリーネは、気性の激しい気まぐれな女性で、シュトラウスとは喧嘩が絶えなかったらしい。つまり作品は、ふたりの現実を反映した当てこすりであり、パウリーネは歌詞を読んだ時には、意図を察してピンときたはずなのである。などと書くと、読者は「変な夫婦だ」と思うかもしれないが、心配はいらない。恐妻家のシュトラウスは、「難しい奥さんを可愛いと思う」タイプだったらしいからである(それは、彼らの関係をオペラ化した《インテルメッツォ》にもよく表れている)。両者は、50年以上にわたっておしどり夫婦(?)を続け、パウリーネはシュトラウスが死去した8ヵ月後(1950年5月)に、彼を追うように亡くなっている。城所孝吉 No.44連載

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