eぶらあぼ 2020.3月号
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169追悼ハリー・クプファーIn Memoriam Harry Kupfer 1935-2019 2019年12月30日、演出家ハリー・クプファーが84歳で亡くなった。オペラ上演にリアリティを持たせることを意図して、演出家ヴァルター・フェルゼンシュタインが提唱した「ムジークテアター」派のエース的存在として、ゲッツ・フリードリヒと並んでの活躍は、日本でも広く知られている。第二次世界大戦後に誕生したドイツ民主共和国(東ドイツ)の首都ベルリンにおいて、コーミッシェ・オーパー・ベルリン(KOB)を創設したフェルゼンシュタインや、ベルリナー・アンサンブルを率いたブレヒトによって、オペラや演劇を理想社会(ユートピア)の追求と重ね合わせた活動が展開された。現在の目からは、それは「見果てぬ夢」に終わった部分が多いと感じざるを得ないとしても、1935年にベルリンで生まれて、戦後の東ドイツで活動をはじめたクプファーが、オペラを人間の自己実現を目指した芸術のひとつであると考えていたことは、彼自身、折に触れて述べている。 クプファーが国際的な知名度を獲得したのは、78年、バイロイト音楽祭の《さまよえるオランダ人》の大成功による。日本には87年春のベルリン国立歌劇場の《サロメ》で初お目見得。ちなみに同年秋にはベルリン・ドイツ・オペラの《ニーベルングの指環》(演出:フリードリヒ)の来日公演もあり、日本における「ムジークテアター」受容元年の様相を呈した。 以後、90年のドイツ再統一を経て、81年より首席演出家を務めたKOBとの三度の来日では《フィガロの結婚》《ラ・ボエーム》(1991)、《カルメン》(1994)、《こうもり》《ホフマン物語》(1998)が披露された。また、盟友ダニエル・バレンボイムとの《指環》(2002)や《トリスタンとイゾルデ》(2007)(ベルリン国立歌劇場)の来日公演も実現した。そして2014年、新国立劇場で新演出上演された《パルジファル》(指揮:飯守泰次郎)が、クプファーの日本での最後のオペラとなった。SF的な素材を用いて閉塞した空間をあらわしたベルリン国立歌劇場での1992年の演出とはおもむきを変えて、仏教的な要素を持ち込んで能楽を思わせる禁欲的な舞台を現出させた。幕切れに何処かへと歩み去った登場人物同様に、クプファーも芸術家としての歩みを止めることはなかったようだ。 観客のなかには、その「コンセプト演出」を作品の「読み替え」として敬遠する向きもあったが、実のところクプファーの演出は登場人物の心情の合理的解釈と、彼らの行動の細やかな表現性こそが際立っていた。とりわけ装置家ハンス・シャアフェアノッホと組んだ舞台には、スペクタクル性に富んだ面白くて理解しやすいものが多かった。そうした意味ではウィーン発ミュージカルとして空前の大ヒットとなった『エリーザベト』のオリジナル演出も代表作のひとつと言えるだろう。日本で披露されたなかでは、《ムツェンスク郡のマクベス夫人》(ケルン歌劇場 1992)、《タンホイザー》(ハンブルク国立歌劇場 1996)も忘れ難いすぐれた舞台だった。文:寺倉正太郎『ぶらあぼ』2014年5月号より 写真:寺司正彦

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