20指揮はデリケートで心理的な作業です取材・文:ひのまどか ロシア最高峰のオーケストラ、サンクトペテルブルグ・フィルハーモニー交響楽団を率いて足掛け32年。豊かな人間性と圧巻の指導力を兼ね備えたマエストロ・テミルカーノフは、穏やかな語り口の中にも、自他への厳しさと巧まざるユーモアをのぞかせる。指揮者は傍からは簡単そうにみえるかもしれないが、実はとても過酷で、しんどい仕事です― それこそ指一本、目配せ一つで巨大群団を制御しているかに見えるマエストロから、このような言葉が出るとは思わなかった。その真意は?「まず、オーケストラは“群”ではありません。楽団員一人ひとりは非常に高いレベルの芸術家であり、各々個性も信念も持った人たちです。しかも彼らは楽器で演奏しますが、私は指揮台に立って“手”で演奏しなくてはならない。このことを皆に納得させ、私の解釈に従ってもらうためには、経験やインスピレーションだけでは足りない、ある種の“神秘的な力”が必要です。指揮はそれほどデリケートで心理的な作業です。自分の意図が伝わらなかったと感じた時は虚無感に襲われ、眠らずにスコアをめくって啓示となる音符を探します」― マエストロのその真摯な姿勢が楽団員の気持ちを引き締め、敬愛の念をより深めているのでは?「私が思うに、オーケストラの首席指揮者は独裁者であってはなりません。首席が楽団員を恐怖で支配すると、オーケストラは恐怖の音を出してしまう。彼らから信頼され、良い雰囲気で指揮台に立つと、とても良い演奏をします。そう、オーケストラは確かに指揮者の人となりを反映します」― 1988年、前首席の死去に伴い楽団員全員の民主的選挙で選ばれたマエストロのこの言葉は、実に奥が深い。私はオーケストラの中に白髪の人がたくさんいるのが好きです― 楽団員は1年ごとに選別され、契約更新となる。とはいえ、世代交代がどんどん進んでいる訳ではない。年配の奏者も数多く見受けられる。「今、世界のオーケストラは定年制が主流ですが、歳だからという理由で経験を積んだ人をクビにするのは間違っている。だからこのオーケストラにはレニングラード・フィル時代からのメンバーもたくさんいるし、現にコンサートマスターのクルチコフもそうです。少し前に辞めたファゴットのタルイピンは90歳まで現役だった。年長者が若者に伝統を伝える風習を、私はとても大切にしています。それによってオーケストラ独特の響きが受け継がれていくのです」― 現在オーケストラの最年長者はどなたですか?「だれだろう? 僕かな?」ちなみにマエストロは81歳になった。4月の来日公演について「今回はチャイコフスキーの交響曲第5番、ムソルグスキーの『展覧会の絵』など“ロシア音楽の名刺代わり”といえる曲でプログラミングしました。こうした慣れ親しんだ作品こそ、私たちは初めて演奏する気持ちで取り組みます。そうでないと曲の中に“魂”が入らない。オートマチックな演奏は、最もしてはいけないことです」― 協奏曲のソリストも最高の人選ですね。「私はソリストを選ぶ時、演奏が上手いのは当然ですが、人間的にも優れている人を選びます。善人は美しい音を出すからです。これは楽団員を選ぶ場合も同じです。今回のソリスト、エリソ・ヴィルサラーゼさん(4/17,4/20)や庄司紗矢香さん(4/25)とはすでに深い信頼関係にあるし、藤田真央さん(4/21)は初めての共演ですが、この間のチャイコフスキー・コンクールで非常に良い演奏をしていましたね。文京シビックホール公演でチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を弾くセルゲイ・ドガージンさんも、同コンクールで優勝する前から何度も共演してきました。見事な演奏をするヴァイオリニストです」― 2018年に出版されたインタビュー形式の自叙伝『ユーリ・テミルカーノフ モノローグ』は、マエストロのファンを大変喜ばせました。「そう? 僕は読んでいない。自分が喋ったことを読んだって少しも面白くないからね、フ、フ、フ」
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