156来日というリスクを取ってでも、日本の観客、そして若いアーティストに見せなくては」と使命感をもって招聘してくれたと思う。その意気に呼応するように観客が押し寄せたのだ。NDTなどは公演パンフレットが売り切れるほどの異様な人気だった。これらの公演の衝撃はネット等でもアツく語られた。 だがエライ人たちは、どうやらこれらの公演に来ていないらしい。 理由として考えられるのは、この三公演の「ある共通点」である。上演されたのはそれぞれ愛知・神奈川、静岡、埼玉・京都……すべて「東京以外」の公演だったのだ。もともと日本のコンテンポラリー・ダンスは東京一極集中ということはなく、様々な地域や劇場が魅力的な自主企画の公演を継続して行ってきた。日本国内でも、ちょっと足を伸ばすだけでガラリと違うダンス環境に出会うことができる。これらを抜きに日本のダンスを語ることはできないのである。なにがしかの決定を下すようなエライ人たちは、海外に行けとまではいわんけど(いやそれくらい行けや、と思うけど)、せめてそれらを踏まえたうえでダンスの未来を語ってほしいのだ。 そしてオレも、人々がダンスを愛する気持ちをつなげるために頑張るつもりだ。本年もよろしくお願いいたします。第64回 「売り切れ続出のダンス公演の共通点は」 この連載もめでたく新元号の新年を迎えた。 本連載で扱っているコンテンポラリー・ダンスも、昨今はドラマや漫画で扱われるなど、だいぶ世間的にも浸透してきた印象だ。昨年はテレビのCMにまで登場した。太った女芸人のくねくねしたヘンテコな踊りを見た男性俳優が「……コンテンポラリー・ダンス!?」とつぶやく。オッケー! 大丈夫! 泣いてなんかいないよ! じっさい説明しづらいものを伝えるとき、恐怖感や苦手意識を取り除くために「笑い」というラベルを貼るのは有効である。かつては「舞踏」もテレビでは「半裸で白塗り、変な顔をしながら動く人たち」というお笑いの感じで扱われたものだった。認識は、理解に先立って獲得する必要があるのだ。 そんな「世間的に浸透してきた実感」とは裏腹に、とあるスジから聞き捨てならない話を小耳に挟んだ。日本の、それもわりと中央の、日本のダンス界に影響を及ぼすようなエライ人たちの会議で、「ダンス公演は客が入らないから、これからはタレントの起用なども考えないと」という意見が出たと。 冗談じゃない。昨年は「(ほぼ)初来日、しかも大規模公演、にもかかわらず売り切れ」というダンス公演が続出したのだ。ざっと挙げても13年ぶりに来日したNDT(ネザーランド・ダンス・シアター)のトリプル・ビル、ダンスと溶け合うフランス現代サーカスの雄ヨアン・ブルジョワ『Scala –夢幻階段』、残酷で美しい強烈なイメージを叩きつけるディミトリス・パパイオアヌー『THE GREAT TAMER』等である。 この連載でも何度も書いたが、これらは今後、数十年にわたり世界の舞台芸術を背負っていくアーティストたちである。劇場とプロデューサーは、「初Proleのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com乗越たかお
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