eぶらあぼ 2019.12月号
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194いう自然体が笑える。最後には結構なスペクタクルもあり、ユーモアと知性が同居していた。 キアラ・ベルサーニの『ユニコーンを探して』は心に残った。脊椎側湾症か、丸く縮んだ身体で床を躄(いざ)るベルサーニ。アーティストならば、障害のある身体を見せる以上のなにかが無くてはならないが、最後、小さなトランペットを手に取って、何度も何度も遠吠えのように音を出すのだ。すると、スタジオの外からやはりブオーと呼応しながら、楽器を抱えた子ども達が入ってくる。彼女は孤独ではないのだ、と思うと涙が出た。日本ではとかく「障害をものともしない強さ」をアピールしがちだが、別に弱くてもいいのだ。すべての人はありのままの姿で尊く、存在する価値があるのだから。 他を概観してみよう。舞台上に黒く巨大なバルーンが偏在し、全裸の男女が飲み込まれたりするピエトロ・マルッロ『WRECK』。ミラノ在住のマツシタマサコ『Un Dress』は大量の下着とすべてを剥いだ身体性の屹立を見せた(来年SPAC-静岡県舞台芸術センターに招聘されるらしい)。 などなど。最後には地元のワイナリーでの食事など充実していたのだが、日本では台風19号が直撃。オレの家は葛飾区の荒川沿いにあり、避難警報が出ていたが、何もできない。テレビ電話で妻が一人で避難したことを確認して、イタリアのダンスを観にホテルを出たのだった(幸い被害はなかった)。第62回 「垣根を越えるNID(ニュー・イタリアン・ダンス)を見た」 前号で告知したとおり、イタリア・スペイン4都市をめぐり、17日間ダンスの取材をしてきた。内容があまりにも濃密なので、2回にわたってお伝えしたい。 最初は、本連載第55回でもお伝えした南イタリアのマテーラを訪れ、「恥」をテーマにしたシルヴィア・グリバウディ作『ヒューマン・シェイム』を見た。さらに練り上げられ、田代絵麻の活躍が光っていた。その後レッジョ・エミリアへ移動して「ニュー・イタリアン・ダンス・プラットフォーム(NID)」へ向かった。教育とパルメザンチーズで名高い都市だ。 じつはダンスにおけるイタリアは結構ビミョーなものである。名高いアーティストも多くはない。ダンス・フェスティバルもあるにはあるが、イタリア各地でディレクター達が群雄割拠していた。イタリアは歴史的に都市国家の集まりなので、地域の独立意識がひときわ強い。そのためダンスでもEUのメインストリームとは距離があった。こうした状況に危機感を持ったダンス関係者が10年ほど前から集まって「イタリア全体のフェスティバル」を立ち上げようと尽力し、やっと5年前(試験期間を入れると7年前)に誕生したのがNIDである。なので、いまだ上り坂の熱気にあふれていた。 作品も、演劇的な作品からインプロっぽい作品、コンセプチュアルな作品と、様々なタイプがそろう。また障害者も普通に出演していたり、裸体を晒す作品が多いのも、総じて身体へのこだわりの強さを感じさせた。 だが別格の輝きを持っていたのが、マテーラで『ヒューマン・シェイム』を振り付けたシルヴィア・グリバウディの『GRACES』である。カッコよく技術バリバリの三人の男性ダンサー達と、ぽっちゃりしたシルヴィアが踊るのだが、ことさらに体型の自虐ギャグをするのではなく、「…ま、こういうのはあちらさんが得意なんで」と譲って自分は踊らない、とProleのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com/乗越たかお

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