eぶらあぼ 2019.10月号
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39ゲルギエフとマリインスキー歌劇場が総力を挙げてチャイコフスキーの全貌に迫る取材・文:林田直樹 「オーケストラを成長させるのは、指揮者というよりは、むしろ作曲家なのです。そのことに気が付かない指揮者がいるとしたら、それは大馬鹿者としか言いようがない」 少し前になるが、ゲルギエフにマリインスキー劇場オーケストラの飛躍の秘訣について質問したとき、そんな答えが返ってきたことがあった。一人の作曲家のさまざま楽曲に出会うことで、その作曲家を総合的に理解し、体験し、全体像を把握しようとすること。それはこれまでのゲルギエフの演奏活動においても、しばしば見られた現象である。 今年の11月末から12月初旬に開催される「チャイコフスキー・フェスティヴァル2019」は、ゲルギエフとマリインスキー歌劇場が、その総力を挙げて、作曲家チャイコフスキーの2つのオペラ、6つの交響曲、5曲の協奏的作品にわたる壮大なプログラムを展開し、その全体像を一気呵成に描こうとする野心的な企画である。ソリストには、ピアノが辻井伸行(第1番)、セルゲイ・ババヤン(第2、3番)、ヴァイオリンが五嶋龍、チェロがアレクサンドル・ブズロフと、日本とロシアから二人ずつというバランスだ。 このフェスティヴァル全体が、作曲家チャイコフスキーを多面的に理解し、オケも聴衆も一緒になって、共に成長しようとする意志の表れでもある。「チャイコフスキーのピアノ協奏曲は、滅多に演奏されない第2、3番、そして交響曲も第1、2、3番をとりあげます。名作だけを演奏するのでなく、作曲家の約30年間にわたる、初期から晩年までの作品をお届けすることにより、皆さんに多くの発見をもたらしたい。 有名な第4、5、6番ばかりでなく、今回は初期と後期の交響曲を組み合わせたプログラムにしているので、旋律、和声、オーケストレーション…比較しながら楽しんで聴いていただけると思います」 オペラも、しばしば上演される《エフゲニー・オネーギン》ではなく、別の傑作ふたつを揃えている。《スペードの女王》がアレクセイ・ステパニュク演出によるフルステージでの舞台上演、《マゼッパ》はコンサート形式だが、これらはともに文豪プーシキンの原作である。「チャイコフスキーがプーシキンの詩から何を読み取って音楽に生かしたかというと、まずはキャラクターの持つパワフルさでしょう。どちらの作品にも強烈なキャラクターが出てくるんですね。《スペードの女王》のゲルマンは、女性に恋する情熱もありますし、トランプ・ゲームに取り憑かれるところも熱狂的です。チャイコフスキーはそういった強烈さに惹かれていたと思います。 《マゼッパ》はウクライナが舞台ですが、帝政ロシアの時代ですから、いまのウクライナとは全く違います。チャイコフスキーは、圧政下に置かれた人々に対してシンパシーを感じていた。それははっきり言えると思います。プーシキンは1799年に生まれています。つまり、このオペラの元となった歴史的な事件が起きた約10年後に生まれ、まだ少年だったころに戦記を読んでいます。さらに、プーシキンが死んだ後に、チャイコフスキーはプーシキンの詩を読んで、インスパイアされている。こういった年代的な流れも留意しておくべき点でしょう。 マゼッパは72歳、マリアは18歳ですが、老齢の男性と若き女性の恋。そこに片思いする若き男性アンドレイ。この緊張感あふれる恋愛関係にも、チャイコフスキーは焦点を合わせたかったのだと思います」 今回出演の歌手については、こう答えてくれた。 「我々は世界中のスターを招くことを拒否しませんが、オペラもバレエも、自前だけで高いレベルを持っています。歌手は6パーセントが外国人で、94パーセントがロシア国内の人たちです。全部そろえながらも、あらゆるものを受け入れる。これがマリインスキーの方針です。演出家や振付家など新しいものを常に取り入れ、凝り固まることなく進んでいます」 交響曲や協奏曲ばかりではなく、マリインスキーの充実したフレッシュな歌手陣を加えたオペラにも接することで、作曲家チャイコフスキーへの理解は飛躍的に深まる。今回は、ゲルギエフの統率によって、未知のチャイコフスキーに接するまたとないチャンスである。Prole「白夜の星」音楽祭、ロッテルダム・ゲルギエフ音楽祭、モスクワ復活祭音楽祭などの音楽祭を創設し、芸術監督、音楽監督として活躍。2007年から15年までロンドン交響楽団の首席指揮者を務めたほか、近年は、メトロポリタン・オペラ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ニューヨーク・フィルハーモニック、ロッテルダム・フィルハーモニー管弦楽団、ミラノ・スカラ座管弦楽団などと共演している。19年、バイロイト音楽祭にデビュー。

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