eぶらあぼ 2019.6月号
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26藤原真理Mari Fujiwara/チェロ満を持してベートーヴェン全曲に臨む取材・文:オヤマダアツシ 写真:武藤 章 毎年、自身の誕生日に行われるJ.S.バッハの「無伴奏チェロ組曲」コンサートや、全国各地で開催されるリサイタルにおいて、藤原真理の音楽は多くの聴き手へ静かに、そして雄弁に語りかける。 リサイタルのプログラムにはベートーヴェンの作品を加えることも多いが、ソナタと変奏曲を集中的に取り上げることはなかなかないという。いや、にわかに信じられないことだが、演奏活動40周年を迎える中、ベートーヴェンのソナタ全曲演奏会は初めてのことらしいのだ。 東京の浜離宮朝日ホールで行われる「チェロソナタ全曲演奏会」は、ベートーヴェンが残した5曲のソナタと3曲の変奏曲を2回のコンサートで演奏するという試み(同様のコンサートが大阪の堺市に今秋オープンする「フェニーチェ堺」の小ホール、名古屋の宗次ホールでも開催される)。それぞれの曲は単独で頻繁に演奏してきたものの、全曲をまとめて弾くのはなんとなく避けてきたというから、それだけに決意のようなものを感じずにはいられない。 「これだけの名曲になりますと、通り一遍に楽譜を弾いただけではお客様に満足いただけないでしょうし、自分なりの何かを伝えることができる確信がないと足を踏み出せませんから。ただ、バッハの『無伴奏チェロ組曲』を何度も全曲演奏してきて、ベートーヴェンを無視するわけにはいかず、いつかはまとめて演奏することになるだろうなとは思っていました。思っていながら、今に至ってしまったのですけれどね。ベートーヴェンは彼の生涯の中で、初期、中期、後期とそれぞれの時期にチェロ・ソナタを残してくれていますから、やはり作曲技法が充実していく様子や進化をあらためて知りたいですし、そのためにもまとめて取り組まなくてはいけないと思ったのです」 チェロ・ソナタ5曲は確かに、第1・2番が1796年、第3番が1808年、第4・5番が1815年と3つの時期に作曲されており、交響曲や弦楽四重奏曲など他ジャンルの作品と並べながら生涯とリンクさせれば、進化の過程を垣間見ることができる。今回は全曲演奏会の第1回にソナタ第1・2番と同年に書かれた2つの変奏曲を、第2回にソナタ第3〜5番ともう一作の変奏曲を演奏。聴き手もベートーヴェンの生涯を辿る旅へ同行することになる。 「どういう構成が演奏しやすいか、調性の流れはどうなのかなどを考慮した結果、最終的には作曲時期を順に辿る素直なプログラムになりました。1番と2番は古典派音楽における約束事の中にも新しい芽があちこちに出ていますから、そこに自由度を見出して演奏したいですね。チェロがピアノの伴奏みたいだと指摘されることもありますけれど、たとえ音の数が少なくてもきちんと弾かないと音楽として成立しませんし、ちょっとした対位法的な旋律であっても音をどうぶつけ合うか、押し引きするかで音楽の表情は大きく変わります。ピアニストの倉戸テルさんとは20年以上もご一緒してきたので、演奏においては慣れ過ぎないほどに親しい間柄ですし、ホールとの相性はどうなのか、当日のお客様にとってはどうなのかも含め、さまざまな可能性を把握しながら、その日その場所だけの音楽を目指すというのが私たちのスタイルなのです」 もちろんソナタ第3〜5番についても同様に、楽譜の中で光る革新的なポイントに光を当てながら、ベートーヴェンの声を聴き手へ届けるという姿勢は変わることがない。 「ただし作品が特別な存在かとたずねられると、弾いていると日常生活の中で感じるさまざまな感情や印象と一致することもあって、厚かましく言わせていただくなら、ベートーヴェンも自分と同じ人間だな、と思えるようになってきました」 そうした境地へと達した今だからこそ、表現できる世界があるはず。「孤島へ持っていきたい作品」だというベートーヴェンの音楽を、私たちも体験したいではないか。

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