eぶらあぼ 2019.6月号
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24エリアフ・インバルEliahu Inbal/指揮“宇宙”と一体化できる音楽取材・文:友部衆樹 写真:武藤 章 83歳を迎えた今もエネルギッシュにタクトを執るエリアフ・インバル。関わりが深いベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団を率いて、2年ぶりの来日ツアーを行う。 「このオーケストラと出会ったのは1989年、ベルリンの壁が崩れた年です(翌年、東西ドイツが再統一)。当初はいかにも“東ドイツ”のオーケストラでした。もちろんプロとしての技量は備えていましたが、西側の団体とはメンタリティが異なり、やや柔軟性に欠けるところがあった。当時、ベルリンには9つのオーケストラがあり、政治家からは統廃合の話も出ていて、彼らも不安を抱えていました。私は“一生懸命やれば、絶対に文句を言われないオーケストラになる”と語りかけ、厳しいリハーサルを続けることで、半年後にはクオリティの高さを評価されるようになりました。現在のベルリン・コンツェルトハウス管は、音がまろやかで優しく、音楽の流れがスムーズ。卓越した技術をもち、リズム感も良い。その意味ではベルリンというより、ウィーンのオーケストラの性格に近いですね」 定評のあるレパートリー、マーラーの交響曲第1番「巨人」と第5番を採り上げる。 「交響曲第1番は私にとって本当に特別な曲です。この交響曲と出会ったことで、マーラーを“発見”したからです。第1楽章の序奏はピュアな自然を表していて、マーラーの青春の思い出が深く関わっています。第2楽章は3拍子のダンスで、美しい音楽でありながら、中間部には不穏な音が入り込んでくる。第3楽章も中間部で突然オーボエがクレズマー(ユダヤ系の伝統音楽)を始める。私がここでオーケストラにいつも言うのは“片目で笑って片目で泣く”音楽だということ。単純な楽しさ、悲しさではなく、全てが入り混じっている。この響きはマーラー以前には存在しなかったもので、音楽史を塗り変える新たな作曲法でした。第4楽章には深い絶望も悲劇もありますが、やがて希望を見出し、勝利を迎えます。しかし単純なものではなく、多くの要素が互いに競い合っている。これこそが偉大な音楽です。 交響曲第5番は“宇宙”。第1楽章は『葬送行進曲』で、第2楽章も同じ雰囲気を持っています。第3楽章『スケルツォ』には民謡、自然、抒情、喜び、悲しみ、人生のドラマなど全てが入っています。第4楽章『アダージェット』は愛の音楽。不安や葛藤を含めた愛の全てが表れています。第5楽章『ロンド・フィナーレ』は喜び。ただし紆余曲折があり、疑問符につきまとわれながら、最後の大混乱の中で一つの勝利へ到達します。決して直線的ではなく、皮肉や風刺を含みながら音楽が運ばれる。マーラーの素晴らしさですね」 協奏曲は、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番を演奏する(独奏:アリス=紗良・オット)。 「モーツァルトは本当に難しい。古典的でクリアでなければならず、その中にノスタルジーや愛や喜びなど、様々なものを表現できなければなりません。モーツァルトを演奏することは天国に近づくことであり、神の存在を確信することなのです」 ワーグナーはマエストロにとって思い入れの深い作品だという。 「《ニュルンベルクのマイスタージンガー》第1幕への前奏曲は、4時間かかるオペラ全体の要素を凝縮した、輝かしい音楽です。《トリスタンとイゾルデ》の前奏曲は斬新なハーモニーで始まります。いつまでも答えを得られず、問いかけが永遠に続くような音楽。これは、世界に真実の愛は存在するのか、という問いと一体となっています。真実の愛がもし存在するなら、それは死の中にしかない。ワーグナーの素晴らしいアイディアですね。 私はなぜ指揮をするのか。自分は指揮者を“職業”だとは思っていません。指揮は私の“運命”なのです。指揮をすると、偉大な音楽と一体となり、自分が宇宙の一部であることを感じることができます。そのために私は指揮をするのです。《トリスタンとイゾルデ》は、宇宙との一体感を最も直接感じることができる音楽の一つです」

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