eぶらあぼ 2019.5月号
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30©Rainer Maillard/DGミハイル・プレトニョフ ピアノ・リサイタル6/17(月)19:00 東京オペラシティ コンサートホール問 ジャパン・アーツぴあ0570-00-1212 http://www.japanarts.co.jp/他公演6/15(土)兵庫県立芸術文化センター(0798-68-0255)6/16(日)神奈川/フィリアホール(045-982-9999)6/23(日)愛知県芸術劇場コンサートホール(CBCテレビ事業部052-241-8118)6/24(月)アクトシティ浜松(中)(053-451-1114)※6/23のみ東京公演と同プログラム。他はモーツァルト&ベートーヴェン・プログラム。詳細は上記ウェブサイトでご確認ください。ミハイル・プレトニョフ(ピアノ)ベートーヴェン、リストからプレトニョフへ取材・文:青澤隆明Interview再び、ピアノを弾くことの喜びを 「ピアニスト=プレトニョフの時代は、ほぼ終わりました」。2012年夏、ロシア・ナショナル管弦楽団を率いて来日したミハイル・プレトニョフは静かに、きっぱりとそう語っていた。一時代を画すほどの名手が──という聴き手の嘆きはしかし、その翌年には晴らされた。 06年末から数年間の演奏休止を破ったのは、カワイ楽器の新たなピアノ(Shigeru KawaiI EX)との出会いだった。そうして直近では16年に来日公演を行い、輝かしい知性や技巧だけでなく、さらに内省的な深みを帯びたプレトニョフの新時代を確信させた。 「コンサート会場に行くと、ピアノは置いてあるけれど、良い音が出ないから弾く気がしない、でも決められた演奏会はせざるを得ない──そういうことが続いたものでね。カワイのピアノは他とは違う。この楽器ならば、音楽を弾ける。良い調律師がいて、自分の弾きたい音を整えてくれる。そのようなこともあって、ピアノを弾いてみたいという気持ちが起きてきたのです」 活動を再開してここ5年ほどのうちにも、ピアノを弾く喜びは増してきたのだろう。 「もちろん。ピアノを弾くことで喜びが得られなければ、続けなかったと思いますから」リストからプレトニョフへ、歴史は繋がる この6月のリサイタルは、ベートーヴェン中期の傑作ソナタ「熱情 op.57」、それに先立つ「ロンド op.51-1」、後半のリストは2つの「葬送曲」の間に、抒情的な名曲や晩年の不穏な創作を織りなす独自のプログラム構成。 「『熱情』は強烈にドラマティックですから、ロンドで少し変化をつけようかと。リストは多面的な作曲家ですが、今回はとくに亡くなる前の、とても興味深い曲が多い。未来を見透かすような音楽が含まれています」 リストの晩年作には、いま心境的にも親近感を覚えるのだろう。 「自分のいまの心情と合う曲を選ぶのが自然でしょう。オーケストラはともかく、ピアノぐらいは自分の好きなもの、弾きたい曲を演奏したいですからね。リストのことはとても尊敬していますし、非常に天才的な作曲家だと思います」 もし、同じ時代を生きられたとしたら? 「彼のコンサートに足を運ぶでしょうね。ただ、リストはかなり早い時期に演奏するのをやめていますけれど」 リストはどんな演奏をしていたと想像されますか? 「残念ながら聴いたことがないので、なんとも言えませんが…。アレクサンドル・ジロティが、3年間師事したリストの思い出をいろいろと残していますね。ジロティはルビンシテイン兄弟に学び、チャイコフスキーとも親しく、ラフマニノフとは親戚関係にありました。さまざまな音楽家を繋ぎ、スクリャービンやイザイとも付き合いがあった。十月革命後にアメリカに亡命し、トスカニーニと出会って、リストの『死の舞踏』を共演しました。ストラヴィンスキーをディアギレフに推薦したのもジロティです。彼らの人生を変え、音楽の歴史も変えた」 その偉大なる歴史の先に、プレトニョフも立っている。彼の先生のフリエールの師イグムノフは、ジロティの弟子である。 「…という次第で、歴史は繋がっているのです。リストはカール・ツェルニーに、ツェルニーはベートーヴェンに習いました。ベートーヴェン、リスト、そして私の話がここで繋がったわけです。今後どうなっていくのかは、まったく見当がつきませんけれども」

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