eぶらあぼ 2018.12月号
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37Prole東京生まれローマ育ち。演技・演出法をM.ゴヴォーニに師事。1998年より文化庁派遣芸術家在外研修員として研鑽を積む。98年新国立劇場開場記念公演・F.ゼッフィレッリ演出《アイーダ》をはじめ多くの巨匠演出家の助手を務めた。97年藤原歌劇団《愛の妙薬》で演出家デビュー以降、新国立劇場、日生劇場、びわ湖ホール等日本各地で様々な作品を手がけ、国際的にも評価が高い。2017年藤原歌劇団共同制作公演《ノルマ》を新制作で手がけ、M.デヴィーアの日本ラスト公演を成功させた。11年度エクソンモービル音楽賞奨励賞受賞。17年より日生劇場芸術参与就任。「存在の耐えられない苦しさ」こそヴィオレッタの悲劇の核心取材・文:香原斗志 写真:藤本史昭 イタリアの精神を知り尽くした粟國淳だから、《ラ・トラヴィアータ(椿姫)》はすでに何度も手がけているかと思えば、意外にも、「装置も衣裳もゼロから作るのは初めてなんです」という返答であった。だが、それは創造にとっては好都合な状況だと言えそうだ。 「藤原歌劇団は《ラ・トラヴィアータ》を、眼をつむっていても上演できるくらい熟知していますが、それだけに見逃している点があるかもしれません」 もちろん粟國も作品は知り尽くしているから、ツボを外さない。一方で、初めてならではの視点も加わる。作品が深掘りされるのはこういうときだ。 「第1幕のアリアで、ヴィオレッタは自分のことを“パリという人が密集した砂漠に捨てられた女”と言いますが、まさしくそれが彼女なんだと。ブルジョワ社会のモラルの陰で解決されていない問題の象徴です。亡くなる直前、“うれしいわ”と叫んだ瞬間に、彼女はやっと誕生したのかもしれません」 粟國が考える根拠は、いつもオペラのなかにある。 「彼女は亡くなる前、いろんな人に“私を忘れないで”と言います。健全に生きる権利を社会的に奪われ、モノのように扱われてきたヴィオレッタだからこそ、最後に自分が欲や利権が絡まないシンプルな存在として認められたとき、“うれしいわ”という言葉が出てきた。自分は存在していいんだと、やっと思えた瞬間の死。それがこのオペラの悲劇の核心だと思うのです」 ヴィオレッタの孤独がどういうものか、オペラの随所で確認できるという。 「第2幕、ジェルモンがヴィオレッタに犠牲を強いたのも動機はメンツです。彼はその後のフローラの夜会で、ヴィオレッタに札束を投げつけたアルフレードを“なんたる無礼な”と叱責しますが、だったら“ヴィオレッタはお前のためにどんな犠牲を払ったか”と正直に言えばいいのに、言わない。それに第3幕、カーニバルの合唱に“太った牛”という言葉が出てくる。古代ローマでは、太った牛を飾りたててパレードさせてから生贄にしたのですが、ヴィオレッタが“さようなら、過ぎ去りし日々”と歌った直後にこの牛をもってきたのは、意味が深いと思います」 当時の社会におけるヴィオレッタという存在の生々しさを、ヴェルディは同時代の衣裳で表現したいと考え、叶わなかった。粟國はヴェルディの“遺志”を継がないのだろうか。 「僕がどうしても引っかかるのは、第3幕でジェルモンからの手紙を読んだヴィオレッタの“遅いわ!”という言葉です。いまはSNSの時代ですけど、当時は遠隔地からの手紙を受け取るには、2ヵ月も3ヵ月もかかったと思う。いまなら3日でも“遅いわ!”と言いそうですが、彼女の言葉には、それだけ時間が経過した重みが込められているはずです」 音楽と言葉を尊重してこそオペラの演出、という正論である。 「百数十年前のロジックのなかでの心理は、いまと近い部分はあっても、やっぱり違う。ヴィオレッタも社会が創り上げたオブジェという意味では今日のアイドルに近くても、アイドルは彼女ほど生きる道を選べないわけではない。でも、人間は根本的には変わらないので、その時代のテーマとして見せられても理解できます」 用意されているのは、現代化ではなく、新しい切り口だ。 「ヴィオレッタは最後、アルフレードに自分の肖像画を託します。“結婚したらその人にあげて”って、リアルに考えると呪いのようですけど、彼女はそこに自分が生きたあかしを見出そうとするのです」 砂漠のような孤独の世界に捨てられた女の悲劇。その気づかざる側面が、いくつもえぐり出されそうだが、悲劇は毎日異なった色彩を帯びるという。 「今回は主役3人がトリプルキャスト。それぞれ声も表現も違う個性をもっている方たちなので、可能なら3日間、観くらべていただきたいなぁ。毎日違う表情を出せると思いますので」

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