eぶらあぼ 2018.10月号
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191スタジオ録音はライヴ録音よりも質が高い?(後編) 前号では、「オーケストラやオペラのスタジオ録音は、プランニングの実際面から言って、より良いものができるわけではない」という話をした。今号では、同じ問題を、スケジュールの都合がもたらす制約とは別に、演奏者の立場や心理的な側面から考えてみたい。 コンサートを伴わないオケのセッション録音は、弾いている側にしてみれば、実はかったるい仕事以外の何物でもない。オケマンが一生懸命に練習するのは、基本的には、自分自身が舞台に立つからである。本番がない、ということになれば、モチベーションはそれだけで断然低くなる(自分が脚光を浴びる機会がないのだから、当たり前だ)。しかもセッションでは、縦線が合わなければ(ミスがあれば)、何度も繰り返しをさせられる。それを1日6時間もやるのは、相当にストレスフルで、あまり嬉しくない仕事なのである。それゆえ今日のスタジオ録音では、指揮者や録音プロデューサーは、オケが集中力を失わないことに配慮し、時間的限界を見極めて作業をする。指揮者が絶対権力だった時代ならば別だが、現代では、彼らの士気がばらばらにならないように、顔色をうかがう必要があるのだ。筆者は、「もう弾きたくない」と思ったメンバーが勝手に席を立ち、休憩に行ってしまう場面を、何度も経験したことがある。 これに対し、今のオケ録音の主流は、ライヴ録音+パッチ・セッションである。この場合、リハ段階からテープを回して素材を集め、その後演奏会2〜3回Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。をライヴ録音する。さらに細かい部分が修正できるように、本番でうまくいかなかった個所を後から録り直す。この方式が良いのは、団員さんたちがコンサートで全力を出し切るから。どんな音楽家でも、本番でぞんざいに弾いて間違ったら、自分が恥ずかしい。だから、スタジオで弾くよりもずっとモチベーションが高く、感情的にも燃焼するのである。たとえミスがあっても、パッチ・セッションで細かい部分を録り直せばいいので、完成度は問題ない。このようにオケ録音の場合、感情的な高まりと完成度の両方が達成できるのは、実はライヴ+パッチなのである。 日本で「スタジオの方が良いものができる」という伝説が生まれたのは、職人的に磨きあげることを良しとする伝統があるからかもしれない。前回書いた通り、ピアノ・ソロや室内楽ならば、スタジオ録音は見事に機能する。人数が少なければ、職人的にこつこつと細部を磨き上げることは、十分に可能だからである。しかしそれは、オケでは機能しない。100人の人が集まって一度に職人になり、それが長時間続く、ということ自体が、あり得ないからなのだ。城所孝吉 No.27連載

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