eぶらあぼ 2018.8月号
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166ベルリン・フィルは完璧に弾いているか 最近、日本から来たお客さんと一緒にコンサートに行った際に、「ベルリン・フィルって、間違いが多いんですね」と言われた。それも一度ではなく、複数の人からである。曰く、「合奏の縦線が合っていない」、「金管ソリストがミスをする」。その口調には、「レベルが落ちているのではないか」という懸念さえ感じられた。筆者はビックリして、どう答えていいか分からず、適当な答えでお茶を濁してしまった。 この問いには、様々な期待や前提が含まれていると思う。まず、「ベルリン・フィルは何でも完璧に弾ける」という了解。そして、「ほかのオケは(CDでもライヴでも)ミスなく演奏している」という経験的知識である。さらに、「演奏は傷があってはならない。傷があるものは高く評価できない」という大前提が存在する。 しかしベルリン・フィルは、実はどんな場合でも4444444完璧になど弾いていない。この20年間、彼らがミスをする頻度は、増えてもいなければ減ってもいないと思う。もちろん、間違えないことに越したことはないし、団員たちはそのために想像を絶する努力をしている。しかし演奏とは、感情的な弾き方をすればするほど、ミスをしやすくなるものである。感情をぶちまければ音が割れる可能性があるし、息を呑むようなピアニッシモを出せば、音がかすれる危険が生じる。 そうした状況でベルリン・フィルは、合わせること、間違えないことを最優先にはしていないのである。大事なのは表現であり、それを実現するためには(ミスが起こる)リスクを負う。完璧であることは重要だが、表現が120パーセント達成されていれば、多少傷があってもOKだし、最終的に正しいアプローチなのだ。Profile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。 逆に合わせること、間違えないことを最優先にすれば、演奏は安全運転になり、エモーショナルでなくなる。何年か前、アメリカのビッグ・ファイブに属するオケがベルリン・フィルハーモニーでマーラーの「第6」を演奏したが、筆者はその数ヵ月前に、ベルリン・フィルによる同曲の演奏も聴いていた。その時につくづくと感じたのは、米国の楽団(名前はあえて出さないが、一流どころである)の表現力が、ベルリン・フィルの半分にも満たない、ということだった。きちんと弾いてはいるが、音にパワーや感情的密度が欠けていて、物足りないのである。 オーケストラとは、100人からの人間の集団だ。ベルリン・フィルともなれば、個々のメンバーの自我が強く、まとめること自体が難しい。しかし、その強いパーソナリティが集まって、エネルギーをひとつにするから凄い音がするのであって、初めから小さくまとめないところが魅力と言える。だから、トランペットやホルンがかすれたり、合奏の縦線が崩れていても、技術が落ちたということではないし、もちろん“悪い”演奏ではない。…というわけで、彼らが完璧に演奏していなくても、目くじらを立てないであげてください。城所孝吉 No.25連載

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