eぶらあぼ 2018.6月号
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Presented by Kanagawa Philharmonic Orchestra 名音楽一家の血を引く“サラブレッド”であることが、音楽的才能にどのくらい関係するのかは明確でないかもしれない。しかし、名奏者の音楽に寄せる信念を身近に感じて育つことは、強い影響を与えるはずだ。 モスクワの音楽一家に生まれたアルセーニ・タラセヴィチ=ニコラーエフは、2016年シドニー国際ピアノコンクール入賞、翌17年にDECCAと契約して注目を集める25歳。名ピアニスト、タチアナ・ニコラーエワの孫にあたる。 祖母が他界したのは彼が9ヵ月のときなので、記憶はない。しかしその存在は、周囲の人を通じて常に感じ続けてきたという。 「僕は、モスクワ音楽院で教える母の指導でピアノを始めました。祖母とは残念ながら少ししか“会う”ことができませんでしたが、それでも彼女の音楽に対する姿勢は、録音やインタビュー、そして彼女の教え子を通して知っています。祖母の音楽への愛は無限で、午前中は教え、午後は練習、夜はコンサート、そして帰宅するとレコードを聴く生活をしていました。一日中音楽ばかりで疲れないのかと聞かれ、“わからないわ、どうして音楽に疲れることなどあるの?”と答えたそうです。この逸話は、音楽への情熱を持ち続けることの大切さを教えてくれます。僕もそうありたいですね」 そんなタラセヴィチ=ニコラーエフ、今度の来日では、高関健指揮、神奈川フィルハーモニー管弦楽団と、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第3番を演奏する。 「この曲は、ベートーヴェンの最高傑作の一つです。ベートーヴェンをロマン派の先駆者とする見方に僕は賛同していますが、この協奏曲からはそんな、古典派の境界を押し広げてゆく最初期の音楽を聴きとることができます」 彼にとって、ベートーヴェンを弾くことは常に大きな挑戦だという。 「現代ピアノの可能性を最大限に生かしながら、楽譜に書かれたものを明確に表現することは簡単ではありません。でも、彼のような天才と作品を通じて繋がれるのは、筆舌に尽くしがたい喜びです」 かつてショパン国際ピアノコンクールの舞台でタラセヴィチ=ニコラーエフの演奏を聴いたとき、一つの作品の中で次々と表情を変える巧みな表現力に驚いた。彼は、人間の中には多様な人格があり、一つの世界を含むような曲を弾く際にはそれが表出して当然だと語っていた。 「偉大な作品を弾くことは、新しい世界を探検することです。僕はごく自然に、自身の内にあるさまざまなキャラクターやピアノのあらゆる音色を駆使して、自分に聴こえる音楽を聴き手に届けようとしているのです」 ロシアン・ピアニズムの伝統をど真ん中で受け継いでいそうな立場にありながら、彼自身は「受け継がれるものはあると思うが、名教師ごとに異なる音楽性を持つのだから、人々の言うロシアン・ピアノスクールの意味がよくわからない」という。とはいえ彼の音には、ロシアの往年の名手が奏でるものに通じる骨太な魅力がある。日本のオーケストラとの初共演では、そのピアニズムを余すことなく披露してくれるだろう。神奈川フィルハーモニー管弦楽団 定期演奏会みなとみらいシリーズ 第340回シチェドリン:ベートーヴェンのハイリゲンシュタットの遺書̶管弦楽のための交響曲的断章(日本初演)ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第3番ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」高関 健(指揮)アルセーニ・タラセヴィチ=ニコラーエフ(ピアノ)6/16(土)14:00 横浜みなとみらいホール問 神奈川フィル・チケットサービス045-226-5107http://www.kanaphil.or.jp/©DECCA ClassicsArseny Tarasevich-Nikolaev/ピアノ取材・文:高坂はる香偉大な作品を弾くことは新しい世界の探検です

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