eぶらあぼ 2018.6月号
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38ジョナサン・ノットJonathan Nott/指揮「ゲロンティアスの夢」でエルガーは“魂のオーラの変化”を表現します取材・文:オヤマダアツシ 写真:藤本史昭 洞察する楽しみを提示してくれるプログラミング、作品のあるべき姿を聴かせる演奏により、人気・評価が高まってきたジョナサン・ノットと東京交響楽団のコンビネーション。意欲的な2018/19シーズンの中で目を引くのが、ノットの出身国であるイギリスにおいて神々しいまでの評価を得ている、エルガー作曲のオラトリオ「ゲロンティアスの夢」だ。7月の定期演奏会では、マエストロがようやく自国の大作を! と身を乗り出す聴き手もいることだろう。 「ようやく…本当にそうですね。これまで指揮をすることがなく、私にとって今回の定期演奏会が“世界初演”となるわけですから。この曲は素晴らしい合唱団と、歌手や合唱団に対して懐が深い演奏をするオーケストラを得てこそ最高の効果が望めます。ですから、東京交響楽団や東響コーラスとの出会い、そして共演を重ねてきた“今”が、その時なのです」 イギリス(イングランド中部)に生まれ、7歳の頃にエルガーと縁の深いウスターの街でこの曲を(少年合唱の一員として)歌ったというジョナサン・ノット。しかし1988年以降、ドイツが主な活動拠点だったマエストロは「ドイツには素晴らしい作品がたくさんあるのに、なぜイギリスの音楽を指揮する必要があるのか」と思っていたという。 「私はエルガーのファンではあるけれど、指揮をしたのは『エニグマ変奏曲』やチェロ協奏曲など、ごく一部の曲だけでした。しかし19世紀末の独特な香りがする『ゲロンティアスの夢』には少年時代から惹かれ続けていましたので、なぜ自分が好きなのかを自己分析することから始めたのです。そうするとワーグナーの作品、特に《パルジファル》に近い精神や半音階を巧妙に使った音楽、さらにはR.シュトラウスの『4つの最後の歌』に比肩するような歌詞と音楽の見事な融合など、さまざまなことが理解できました。マーラーの交響曲、特に第2番『復活』や第8番に匹敵する壮大さ、偉大さも感じていただけるでしょう。カトリックの教義をもとにした宗教的な作品ではあるのですが、生命や死、魂の行方といったスピリチュアリティ(精神性、霊性)という側面から味わう方が、日本の聴衆には理解しやすいかもしれません」 たしかにこの作品は、カトリックの枢機卿が著した詩をテキストとして引用しているものの、ゲロンティアスという人物が死を前にして怖れを感じる場面から、肉体から解放され、魂が主のもとへと誘われる過程を描いている。 「ゲロンティアスは死を迎え、彼の魂はどこに向かうのか。生から死へと進む状況はエネルギーの変容であり、そうした魂のオーラが変化していく様子を、エルガーは音楽で表現しています。同時に、死を怖れることはないということも。私と東響はこの4月にブルックナーの交響曲第9番とマーラーの交響曲第10番(アダージョ)を演奏しましたが、この2曲もまた宗教音楽ではないけれど生と死に深い関わりをもっています。マーラーは死によって自己や誇りが否定されてしまうと考え、ゆえに死を怖れていました。ブルックナーは、はたして自分が神の下に出る価値のある人間だろうかと思い悩み、死を怖れたのです。さて、ゲロンティアスはどうでしょう。彼も決断を迫られる場面があり、守護天使に見守られながらも、誤った決断をすると悪魔が言い寄ってきます。もしかすると、聴き手それぞれが自分を彼に重ね合わせ、自分を見つめ直せるキャラクターかもしれません。ですから、これはキリスト教の音楽だからと身構える必要はありません。オラトリオというより、舞台のない音楽ドラマだと考えていいと思います」 さらには「オーケストラは神の声やメッセージであること」「エルガーは大聖堂の響きを熟知していたので、そうした効果があること」など、語ってくれた魅力は多数。この定期演奏会は、マエストロと東響、東響コーラスにとって重要なマイルストーンになりそうだ。
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