eぶらあぼ 2018.6月号
158/199
173カラスのレシピ 2007年に、ドイツのある有力出版社から、マリア・カラスに関する料理本が出版された。『マリア・カラス〜ラ・ディヴィーナ・イン・クチーナ(台所のプリマドンナ)』と題されたそれは、伊マリア・カラス協会の創設者ブルーノ・トージが収集した彼女のレシピを収めたものである。それによると、若い頃のカラスは、新聞・雑誌に掲載されたレシピを熱心に集めていた。また、ハイソサイエティの華になってからは、客演先のレストランのレシピを書き取り、自宅で家政婦に作らせたという。ドイツでこうした本が出るのはやや意外だが、外国語からの翻訳ではなく、ミュンヘンの出版社によるオリジナルである。 内容的には、カラスのキャリアの各段階を追いながら、その時期に食していた特徴的なレシピを紹介している。夫メネギーニの母から教わったヴェローナの郷土料理「干し鱈のヴェローナ風」、「グリーンピースのリゾット」、当時スカラ座地階にあったレストラン「ビッフィ」の名物「ミラノ風オッソブーコ」、1957年に芸能ジャーナリスト、エルザ・マックスウェルが「ダニエリ」(ヴェネツィアの高級ホテル)で行った晩餐会のコース料理(「スキャンピ・フラミンゴ」、「鶏肉のスマロフ鍋煮」)、パリ時代にオナシスと訪れた「マキシム」の定番「マントヴァ風オマール海老のスフレ」、77年に死去するまで執事を務めたフェルッチョ・メッザードリのメモ「鮭の水車小屋娘風」など、多彩。読んでいると、嫁姑の和やかな会話や公演後に祝杯を上げる様子、華やかなハイソサイエティやオナシスとの危険な関係、パリでの孤独な晩年が脳裏に浮かび、食指をそそられる。もちろん、筆者もチャレンジProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。してみたが、その結果はいかに…。 レシピを読んだり、実際に作ったりしてみて思ったのは、50〜60年代にカラスが食べていた料理は、意外にシンプルだった、ということ。我々が知る“セレブ御用達の星付きレストラン”の味ではなく、むしろ日本の“正統的洋食”に近いことが分かる。端的に言えば、上野精養軒。「スキャンピ・フラミンゴ」など、レモン汁、塩コショウ、おろしニンニク、オリーブオイルでマリネした大エビを炒め、マリネ液をコニャックで煮詰める、というだけである。それを、温かいジャスミン・ライス(軽くバター・ソテーしたセロリ、ポロ葱、唐辛子、アーモンドで和える)に添えて食べる。もちろん美味しいのだが、どちらかというと、素材と手順、火加減が勝負のオーソドックスな料理である。つまり戦後直後には、あらゆる食材が手に入るわけではなく(ジャスミン米は珍しかった!)、調理法自体も、ミシュラン風に複雑で手の込んだものではなかったのだ。カラスがこういうものを食べていたかと思うと、三島由紀夫の小説のような「昭和の上流階級」が連想されて、かえって面白い。当時は、今では普通に食べられるものが、極めて貴重でシックだったのである。城所孝吉 No.23連載
元のページ
../index.html#158