eぶらあぼ 2018.4月号
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39ルネ・マルタンフランス出身。世界各地で年間約1500もの公演を手掛けるカリスマ音楽プロデューサー。青少年期にジャズとロックに没頭。10代でクラシックの素晴らしさに目覚める。経営管理学と音楽を学んだ後、仏ナントに芸術研究制作センター(CREA)を創設して芸術監督を務める。1981年に南仏ラ・ロック・ダンテロンでピアノ音楽祭を創設し、ルプー、アルゲリッチ、キーシン、フレイレ、トリフォノフ、小曽根真ら世界的ピアニストを招聘。リヒテルからも信頼され、音楽祭を任された。95年にナントでクラシック音楽のイメージを揺るがす画期的イベント「ラ・フォル・ジュルネ」を開始。これらの功績により、世界各地で名誉ある勲章の受章なども多い。 公式本「亡命」の音楽文化誌エティエンヌ・バリリエ(著)西 久美子(訳)アルテスパブリッシング¥2400+税的な難民の問題がクローズアップされていませんでした。その後、多くの人々が紛争により祖国を離れ、ヨーロッパにたどり着き、移民は深刻な社会問題となりました。そのような状況で、このテーマが音楽祭にふさわしいものかどうか、とても悩みました。現在の悲劇的状況を音楽祭のために利用したと誤解されてしまうかもしれない。しかし、亡命者は何世紀にもわたって存在しており、移民の問題もずっと前から音楽史にあったものです。ですから、テーマはそのままにして、ネーミングをポジティブなものに変更したのです」 ルネ・マルタンが最初にこのテーマを思いついたきっかけは、さまざまな名曲の背景に亡命があると気づいたことだという。 「たとえばショパン。ポーランドを離れ、その後、一度も祖国に帰っていません。パリで数多くの傑作を残しましたが、その多くには祖国とのつながりがあります。ときには作品に政治的なメッセージが込められていることもあります」 「新しい世界へ」と聞くと、ついドヴォルザークの「新世界より」を連想してしまうかもしれないが、ドヴォルザークは数ある登場人物のひとりといったところ。ただ、ヨーロッパからアメリカに渡った作曲家はたくさんいるので、アメリカで書かれた曲が存在感を放っている。 「20世紀の芸術家にとってもっとも安全な場所は自由の国アメリカでした。当時の音楽の都はパリでしたが、パリはやがてナチスに占領されてしまいます」 今回の音楽祭で主役となる作曲家を尋ねると、ショパン、ラフマニノフ、プロコフィエフ、コルンゴルト、バルトーク、マルティヌー、アルベニス、ドヴォルザークと、次々に名前が挙げられた。 「だれもが知る名曲もあれば、アイスラーの『ハリウッド・ソングブック』やヒンデミットの『ルードゥス・トナリス』のような珍しい曲もある。それがラ・フォル・ジュルネの魅力です。毎回テーマに沿って、野心的なプログラムも紹介したいと思っています」 また、音楽祭の公式本「『亡命』の音楽文化誌」も発刊されるので、よりテーマを詳しく知りたいという方におすすめだ。東京芸術劇場南池袋公園Photo:M.Otsuka/Tokyo MDE昨年の音楽祭より 地上広場のミュージックキオスクホールEでの“こどもたちの音楽アトリエ”©team Miura
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