eぶらあぼ 2018.4月号
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194がディレクターを兼ねている場合も多々あるので、自分のダンスに自信があるなら、カタコトの英語でもどんどんアプローチするべきだ。発想を変えろ。そして外に出ることだ。外に金があるなら使えばいいのだ。 そして劇場側の改革も必要だろう。最近ネットで「10年で、観客数を3.7倍に増やした劇場」として話題になった岐阜県の可児市文化創造センター・アーラは、館長の衛紀生(えい きせい)氏がいろいろ画期的なことをしている。なかでも小中高生や、「ひとり親など経済的に余裕のない家族を丸ごと」公演に招待するという「私のあしながおじさんプロジェクト」がすごい。財源は地元企業・団体・個人の寄付金だという。舞台芸術を一部のファンの専有物としないのだ。むしろ社会的にマイノリティとされてきた人々こそ劇場のメインターゲットと考えている点が、じつに素晴らしい。そこで見せるのはあくまでも一流の舞台である。 それは単なる「弱者救済」ではない。多様な他者と共存する社会の方が、そこに生きる人々全体を、最終的には経済的にも精神的にも健全に保てるのである。欧米ではそういうマイノリティ(障がい者や移民や貧困層、子育て世帯)と社会(ソーシャル)をつなぐものとして、ダンスやサーカスの役割が飛躍的に増している。 しっかり他者とつながれば、それは金に浮かれていたバブルよりも、よほど人間的に豊かな社会になる。人をつなぐことこそ、アートの使命なのだから。第42回 「貧しき国でのアート」 いきなり景気の悪い話で恐縮だが、日本では華々しい受賞歴があり名前の通ったダンスカンパニーでも、単独公演には自分の貯金をつぎ込む状況が長く続いている。すでに様々なデータから、先進国の中でヨーロッパのみならずアジアの中で見ても、日本は平均賃金の低さや貧困世帯の多さが浮き彫りになっている。長いこと日本は「文化に金を出さない国」といわれてきたが、もはや「出す金もない貧困国」という前提で考えるべきかもしれない。 実際、日本のダンスカンパニーが海外のフェスティバルに招聘されても、渡航費を捻出できず断念するのは珍しくない。日本の助成金はただでさえ少ない上に、「半年後のフェスティバルに来てくれ」というスピードにほとんど対応できない。韓国・中国・台湾など、アジアの国々が「自国のアーティストが海外で活躍するのを支援する基金や財団」を続々と創っているのと対照的だ。その背景にはコンテンポラリー・ダンスを「輸出品」として国がバックアップする産業目線がある。日本の「文化の交流」とは熱が違う。 ならば、アーティストも意識を変える必要がある。そもそも「カンパニー中心で活動し、規模を大きくしていく」のは、ひと昔前の資本主義のモデルだ。「無限に成長していくもの」という企業のモデルである。しかしいまや街の商店街にある魚屋のような「小商い」が注目されている。大きく儲かることはないが、巨額の先行投資も要らず、納得のいく商品を売り続けて何十年、という「細く長く」の形態だ。ダンサーの活動が個人中心になっているいま、これは全然アリだろう。クラウド・ファンディングも必要な資金だけ調達する分には使い勝手が良い。中には海外の劇場やフェスと個人的なネットワークを作り、共同制作で作品を創りまくっているダンサーもいる。面白いのは、彼らは必ずしも英語が堪能というわけではないことだ。今はダンサーProleのりこしたかお/作家・ヤサぐれ舞踊評論家。『コンテンポラリー・ダンス徹底ガイドHYPER』『ダンス・バイブル』など日本で最も多くコンテンポラリー・ダンスの本を出版している。うまい酒と良いダンスのため世界を巡る。http://www.nori54.com乗越たかお

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