eぶらあぼ 2018.4月号
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189ブーイングについて(前編):お客さんは本当にコンサバか 今号から2号にわたり、ブーイングについて考えてみたいと思う。ブーイングは、日本の音楽界では普通にあることなのだろうか。筆者の住むドイツでは日常茶飯事で、オペラの初日ではないことの方がおかしい(?)くらいである。 念を押しておくが、欧州でも演奏会でブーイングが起こることは、ほとんどない。というのは、オケや室内楽で演奏がお話にならないほど酷い、ということはまずないからだ。ごく稀に現代作品で、反感を持った観客がブーをすることがあるが、それは演奏会に通い慣れていない人の反応。本当のファンならば、現代ものが難解なのは知っており、シェーンベルク以前の作品では、よほど常軌を逸した解釈でない限りブーなどしない。 今、「常軌を逸した解釈」と書いたが、ブーイングは基本的に「聴衆に向けられた挑発」へのプロテストだと思う。これは通常、演出に対してのものだろう。今日のオペラ界では、作品を別のコンテクストに置き換えた「読み替え演出」が一般化しており、それに反発する人々がブーを叫ぶ、ということになっている。つまり「演出は先進的。お客さんの考え方が古い」という構図。よく「保守的な聴衆がモダンな演出にブーをした」という記述を目にするが、そこには「先鋭的な解釈が観客に理解できなかった」というニュアンスが込められている。 しかし筆者は、この構図が今、変化してきているように思う。というのは今日のドイツでは、読み替え演出はスタンダードであり、もはや前衛ではないからProfile城所孝吉(きどころ たかよし)1970年生まれ。早稲田大学第一文学部独文専修卒。90年代よりドイツ・ベルリンを拠点に音楽評論家として活躍し、『音楽の友』、『レコード芸術』等の雑誌・新聞で執筆する。近年は、音楽関係のコーディネーター、パブリシストとしても活動。である。お客さんも観慣れており、物語の設定が変わったくらいでは、誰も驚かず腹も立てない。むしろ彼らが見ているのは、そうした変更やアイディアに本当に説得力があるか、ということである。お客さんが怒ってブーを叫ぶ場合、それは「あまり必然性がないのに無暗に設定を変えて新しそうに見せている」舞台に対してだと思われる。 大体、ブーをするにはかなりのエネルギーが要り、自分の正しさに自信がなければとてもできない。自ら進んでブーイングするようなドイツのオペラファンは、新聞批評も専門誌もしらみつぶしに読んでいて、何が新しいのかをよく知っている。つまりコンサバなどでは全くなく、批評家と同じくらい高度で最新の知識を持っているのである。そうした人々がブーするのは、「新しいものに付いてこられなかった」からではなく、逆に「本当の新しさが感じられなかった」、「過去の舞台の焼き直しだった」から。その意味で今日では、ブーイングの意味と質が変わってきている。逆に言うと、お客さんの鑑識眼が上がり、演出家にとってはごまかしの効かない時代になってきているのである。城所孝吉 No.21連載

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