eぶらあぼ 2018.3月号
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94 ジョージア(グルジア)出身の名ピアニスト、エリーザベト・レオンスカヤが東京・春・音楽祭に初登場し、シューベルトの最後の3つのピアノ・ソナタを披露したのは2015年のこと。実に32年ぶりとなる日本でのリサイタルだった。そこで聴かせた円熟の演奏は大きな反響を呼んだが、この4月、レオンスカヤは「シューベルトのソナタ全曲演奏会」というさらなる贈り物を日本のファンに届けてくれることになった。昨年のクリスマス、ドイツ・ケルンでの演奏会を前に話を聞いた。 今回の6日間のチクルスは16年にウィーンで行ったものと同じで、「学術的な観点からではなく、聴き手の心情にコントラストを与えられるよう、各プログラムに様々な時期の曲を織り込んだ」という。完成した楽章を持たない第8番・第10番・第12番以外のすべてのソナタが演奏される。普段あまり取り上げられない初期作品までまとめて聴けるのは、チクルスならではの楽しみといえるだろう。 「シューベルトという人は常に頭の中がアイディアであふれており、それをひたすら紙に書きとめていました。なかには未完成のまま終わったり、失われてしまった曲もあります。没後、彼の兄弟やシューマンがそれらを集めるのに尽力し、ソナタの1枚1枚の自筆譜をつなぎ合わせようと試みたのです。例えば、私が大好きな第3番ホ長調は5楽章もあり、スケルツォを2つ持つという特異な形式の作品ですが、これはその作業があったればこその結果です。どのソナタにも彼の個性や横顔が感じられて興味深いのですが、第5番変イ長調のように『これはハイドン?』と見紛う作品もあります。この時期、彼はまだ独自の語法を見出していなかったのです」 シューベルトの創作の大きな転機としてレオンスカヤが挙げるのは、「そのピュアなリリシズムは他と代えがきかない」という第13番イ長調。そして、ピアノ・ソナタの作曲をしばらく中断した後に生まれた第14番イ短調。特に後者については、「私にとってスフィンクスのような作品。シューベルトといえば大きな終わりのない形式が挙げられることが多いですが、この曲は極めて簡素な書法で書かれています。しかしそこには、恐ろしいまでの鋭敏な感性がみなぎり、まるで『ヨハネの黙示録』の情景を見ているかのようです」と作品への畏敬の念を隠さない。 そこからシューベルトは前人未到の領域に入っていく。その頂点に位置するのが亡くなる年に書かれた最後の3つのソナタであることに異論はないだろう。 「第19番ハ短調には、シューベルトが生涯を通じてお手本にしていたベートーヴェンの影響が強く感じられます。第20番イ長調は、音楽的な素材やアイディアの観点で見ると、むしろブルックナーの交響曲の方向性にずっと近い。第15番『レリーク』の第1楽章にも、私はそれと似た趣向とスケールを感じます。最後の第21番変ロ長調は、その終わりのない感じなど、まさに粋を尽くしたシューベルト。『時よ止まれ、お前は美しい!』という、ゲーテの『ファウスト』の言葉が思い浮かびます」 この濃密なソナタ群に加えて、難曲で知られる「さすらい人幻想曲」が最終日に演奏される。 「アレグロ、変奏曲付きのアダージョ、スケルツォ、フーガによるフィナーレと続く大変なヴィルトゥオーゾ作品ですが、形式はソナタそのもの。この曲を除外することはできません」 齢72のレオンスカヤが、11日間で6つの公演を弾く上野のシューベルト・ツィクルス。すごいエネルギーですねと話を向けると、「そうかしら?」という表情で優しく微笑んだ。 「エネルギーは私にあるのではなく、作品にあるのです。私はそこから常に力をもらっている。音楽を呼吸すれば、私は幸せになれます」 1978年にソ連からオーストリアのウィーンに亡命し、今もこの地に住むレオンスカヤは、「シューベルトの音楽をより自然に理解できるようになった」と語る。生粋のウィーン人だったシューベルトの至宝といえるピアノ・ソナタに、心ゆくまで浸れるツィクルスになるはずだ。エリーザベト・レオンスカヤ Elisabeth Leonskaja/ピアノエネルギーは私にあるのではなく、作品にあるのです取材・文:中村真人Special interivew
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